ペットの祖は丹波・亀岡にあり? 日本書紀に記載、「犬飼」の地名も 庄屋はトリミングサロンに

京都新聞社 京都新聞社

 その犬の名は「足往(あゆき)」。

 亀岡の地で飼われていた犬で、記録上、日本最古とみられる犬の名だ。約2千年前とされる垂仁天皇87年2月の出来事として、日本書紀に記載がある。犬種は不明だが、現在の京都府亀岡市にあたる丹波国桑田村の甕襲(みかそ)という人物の飼い犬で、ある日、山の獣ムジナを食い殺す。ムジナの腹の中から八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)が見つかり、甕襲は勾玉を朝廷に献上。「今は石上(いそのかみ)神宮にある」らしい。

 「ああ、足往の勾玉のことですね」。日本最古の神社の一つとされる石上神宮(奈良県)に尋ねると、禰宜の道上昌幸さん(47)が二つ返事で答えてくれた。もともと神宮に伝わっていた話を、8世紀に編さんした日本書紀に盛り込んだという。ただ、神宮の神宝は戦乱などで散逸し「残念ながら足往が見つけた勾玉は残っていません」。代わりに、「石上神宮には、大和朝廷に制圧された地域から、その地を象徴する宝が奉納されていた」と教えてくれた。

  足往の物語は、丹波が大和に従った歴史を示しているのだろうか。足往は、江戸時代の滝沢馬琴の小説「南総里見八犬伝」でも触れられ、作中には妖術に使う道具「甕襲の玉」も登場。足往は文豪にインスピレーションを与えたようだ。

 足往と甕襲が暮らした場所はどこか。市文化資料館の土井孝則さん(53)は「亀岡市曽我部町の犬飼(いぬかい)では」とみる。犬飼は、狩猟のため犬を飼い、ヤマト王権直轄地の屯倉(みやけ)を管理していた「犬養(いぬかい)部」と関連があるとみられる土地。裏付ける史料や史跡はないが、ヤマト側から見れば亀岡盆地の入り口付近にあたり、なんとなく納得できる。

 犬飼にほど近い曽我部町穴太では江戸時代の絵師、円山応挙が生まれ育った。なでたくなるような子犬の絵を多く描いており、犬が身近な存在だったのだろうか。応挙が8歳から15歳ごろまで暮らした金剛寺(曽我部町穴太)を訪ねた。「子ども時代にイノシシを描いた話はありますが、犬の関わりを伝えるものはないですね…」と住職の中道高志さん(71)。残念。

 日本書紀以外に丹波と犬の関わりを示す記録は見つからなかったが、猫の記録が亀山城下町に残っていた。

 応挙が金剛寺で修業中だった1746年、50世帯ほどの塩屋町の町民17人が連名で「われわれが飼っている猫に不調法があっても自分たちで処理し、お役人様に迷惑はかけません」との趣旨の文書を記していた。当時は塩屋町に隣接し「魚屋町」があった。猫が魚を盗むような事件でも頻発したのだろうか。動物好きが集う町内の様子が思い浮かぶ。

 町を歩くと、当時の庄屋の谷口家がペットのトリミングサロンになっていた。「猫は聞いたことありませんが、代々犬を飼ってます」。谷口紗奈子さん(35)が看板犬アルちゃんを抱きながら取材に応じてくれた。愛犬が写った大正時代の谷口家の家族写真も残り、クジャクも育てていたらしい。脈々と続くペット好きの土地柄に触れた気がした。

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