「舞いあがれ!」に航空学校の鬼教官として出演する吉川晃司。あまりにも有名なため、名字を「きっかわ」と読むことに違和感はないが、全国の「吉川」さんの大半は「よしかわ」と読む。
全国的にみると、「吉川」の実に9割強が「よしかわ」で、「きっかわ」は1割にも満たない。このわずか1割弱の「きっかわ」はとくに中国地方に多く、吉川晃司も広島の出身である。
「吉川」に限らず、「吉~」という名字には2つの由来がある。
1つは山や川、田などに対して、「恵をもたらしてくれるように」という希望を込めて名乗ったもの。自然とともに生きていた時代では、自然に対しての祈りは欠かせなかった。
そしてもう1つが、植物のアシ(葦)に因むものだ。アシは水辺に生えるイネ科の多年草で、古くは葦簀(よしず)をはじめ、日常生活の様々な場面で利用されていた。
しかし、「アシ」という言葉は「悪し(あし)」と発音が同じで縁起がよくないため、関西を中心に「ヨシ」と言い換えることが多く、ヨシの茂っている川や原は「よしかわ」「よしはら」といわれ、漢字では縁起のいい「吉」の字をあてた。そして、こうした場所に住む人も「吉~」という名字を名乗った。
つまり、「吉川」という名字のルーツには、「恵みをもたらす川」という意味の「よしかわ」と、ヨシの茂っている川に因む「よしかわ」の2つがある。そして、これらの「よしかわ」は地名になることも多く、各地に「吉川」という地名がある。
では、「きっかわ」はどこから来たのだろうか。
かつて、駿河国有渡郡に吉河郷(現在の静岡県静岡市清水区吉川)という地名があった。ここは「よしかわ」ではなく「きっかわ」と読む。古くは「きかわ」とも言われたらしく、漢字は当て字だろう。
ここに住んだ藤原南家入江氏の一族が「きっかわ」氏を名乗り、漢字では「吉香」氏を称していた。やがて「吉河」「吉川」などとも書かれるようになり、次第に「吉川」に統一された。
鎌倉時代には安芸国(広島県)や石見国(島根県)に領地をもらって一族が移り住んだ。なかでも安芸の吉川氏は戦国大名として活躍し、吉川元春と小早川隆景の兄弟が毛利本家を支えた「三本の矢」の話は有名だ。
現在でも、広島県を中心に、島根県、岡山県、鳥取県では「よしかわ」よりも「きっかわ」の方が多い。