伝説の飲料「ネーポン」を提供する”謎”の店が大阪にあった 店長はキャリア20年の漫才師

山本 智行 山本 智行

 伝説の飲み物「ネーポン」をご存じだろうか。1990年代に一世を風靡し、その後に消滅。しかし、シロップとして令和の時代に再登場し、ゆかりの地ともいえる大阪・玉造の「ライヴ喫茶亀」で提供されている。しかも、店長は漫才コンビ「ヤング」の嶋仲拓巳さん(35)という意外な展開。一体、どういうことなのか。玉造在住の記者が取材した。

 伝説の、いや、てっきり幻になっていたと思っていた清涼飲料「ネーポン」の張り紙を見たときは、思わず腰が浮いた。この感覚、1990年代に関西で青春時代を過ごした世代には、きっと分かってもらえるのではないか。店長の嶋仲さんも「あっ、あったって、驚かれる方、結構いますね」となんだかうれしそうだ。

 店は”裏玉造”といっていいような場所にあり、最初は名前も知らずに、たまたま入った。後に「ライヴ喫茶亀」と分かったが、聞けば、嶋仲さんの経歴がこれまたユニーク。キャリア20年の漫才コンビ「ヤング」のボケ担当で「ミルクボーイ」や「金属バット」とも交流がある。

 相方は寺田晃弘さんといい、2人は大阪星光学院高1年だった2003年にコンビを結成し、M-1甲子園決勝進出。20歳だった08年にはM-1グランプリ準決勝まで進んでいる。その後も活動を続けながら15年に谷町9丁目に「亀」をオープン。入居ビル解体に伴い、20年3月、この場所に移転してきた。

 直後にコロナ禍に見舞われ、店を閉めたこともあったが、周囲のサポートもあり、なんとか踏ん張ってきた。すると、玉造に引っ越して来たのが運命でもあったかのようにネーポンと出合うことになる。

 「お客さんでネーポンマニアの方がいて、ネーポンって知ってる?って聞かれたのがきっかけなんです。玉造という場所柄かもしれません」

 嶋仲さんは、この界隈で育ったこともあり、その存在は知っていた。そう、玉造を拠点に活動していた今は亡き作家の中島らもさんがエッセイ集「西方冗上」の中でコーヒーを出さない、謎めいた喫茶店「アジアコーヒ」にふれ、怪しげな「ネーポン」を取り上げていたことを覚えていたからだ。

 「読んだのは高校の時ぐらいですかね。なんか、響きがヒロポンみたいで、どこか怪しげで。実際に飲むとおいしくて。でも、いつの間にかアジアコーヒもネーポンもなくなっていた。それが復活したというんですから」

 そこからトントン拍子に話は進み、思い入れの強い、あのネーポンを仕入れることになった。復刻版はシロップになっており、炭酸水で割り、4倍に薄めて飲むのが基本形だそうだ。

 「この季節、ホットで飲むのもいいですし、ハイボールもおいしくて人気ですよ」と嶋仲店長。実際に4倍に薄めてもらって氷入りの炭酸割りを飲んでみたが、これが絶品。柑橘系の爽やかさとともに、どこか懐かしい味がした。

 いまさらながらとはいえ、ネーポンはネーブルとポンカンをかけた清涼飲料水。破天荒な作家、中島らものエッセイをはじめ、テレビ「探偵!ナイトスクープ」やビートたけし、明石家さんまのバラエティー番組などで「伝説の飲み物」として、おもしろおかしく取り上げられ、1990年代に強烈なインパクトを残した。

 その復活に合わせたわけでもないが、漫才コンビ「ヤング」も3月25日に神戸・新開地の喜楽館で4年ぶりとなる単独ライブを行う。さらに2月5日は「亀」でも音楽あり、落語ありのイベントを実施。店員のつづらさんも出演するという。

 今後を聞くと嶋仲さんは「これまで好きなことをやれたらいいと思って、実際にそうしてきましたが、最近少し欲が出て来ました。これからは場所を問わず、東京でも大阪でもライブをやり、いろんな人と交流していきたいです」と芸人の顔になった。言うまでもなく、再び輝くつもりだ。

◇「ライヴ喫茶亀」
大阪市中央区玉造1-3-13
ヤングの単独ライブ「狂い咲き漫才」の問い合わせはfoolsyoung@gmail.com

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