「あまりこの話はしたことはありませんが、20代後半はこの仕事で食べていました。個人的には天職のようでした」。映画監督の村上賢司さん(52)が若かりし頃のアルバイトを振り返ったSNS投稿が注目を集めています。村上さんに当時の思い出を聞きました。
最大の利点は「人間関係で悩まない」
村上さんの「天職」とは今から二十数年前、アルバイトとして勤務したゼンリンの住宅地図調査員のこと。前年までの地図情報を見ながら東京都内を歩き、現在の街並みと見比べ、変更箇所があれば書き込むという内容でした。
「事務所に行き、担当するエリアの地図を預かり、調査に出かけます。事務所で会社の人とやりとりする以外は完全に1人です。自分のペースで人に合わせなくていい。人間関係に悩まなくていいのが最大の利点でした。バイトって仕事以外の人間関係があるじゃないですか。時給で換算されない理不尽さ。その点は本当に楽でした」
1人でできる仕事とはいえ、住民から声をかけられることはしょっちゅうだったといいます。
「入り組んだ場所はのぞかないと見えないところもあり、そんな時は『何してんだ』と警戒されました。その一方で、目黒区の高級住宅地では住民から『ご苦労様。大変そうだからどうぞ』と麦茶をごちそうになったことが二度ほどありました」
一番記憶に残っている仕事は。
「荒川の河川敷エリアを担当した際、前年までは工事中だった場所が、調査時には工事が完了し、新しい遊歩道や公園、グラウンドなどが完成して全く違う景色に変わっていました。あまりにダイナミックな変更だったので、堤防の上から眺めたときは思わず『なんだこれ!』と声が出ました。測量並みに全て書き足した記憶があります」
すごく集中して「不思議なトランス状態に」
平均的な勤務時間は1日約5〜6時間。黙々と歩きながら頭の中では何を考えていたのでしょうか。
「すごい集中してるんですよ。不思議なトランス状態になるんですよ。高揚感に近いですね。住民ですら気付かない場所に入っていくことで、その地域を制覇していくような感覚もある。『こんなところにこんな店』という感じではなく、未知のところを塗りつぶしていくことの面白さです。街との対話が盛り上がっていく感じ。その地域の作りがわかってくるというか、街の面白さが重なっていく。多くの発見によって街の大きな印象が出来上がっていく感じです」
性に合い、3年ほど続けた村上さん。継続した決め手は。
「ハマった一番の理由は、俺の人生では行かなかったであろう場所に行って、徹底的に歩いて調べる。それが面白くて面白くて。街や東京観がどんどん広がっていきました。面接で『一生かかっても行かない場所に行けますよ』と言われたんですよ。最初はなんだろうと思ってました。アマゾンの奥地ではなく東京都内なのに。実際始めてみると、自分の行動に偏りがあり、癖があることに気付かされました。人間って交友関係だとか趣味だとかで行く場所が固定されちゃうんですよね」
村上さんはその後、映画監督やテレビディレクターとして活躍を続けています。地図調査員の経験はその後の人生でも役立っているのでしょうか。
「めちゃめちゃ役立ってます。まずは土地勘。それから街を見る感覚が鍛えられました。人と違ったというよりは、いろいろな視線を繰り出せる。土地に対する偏見がなくなるんですよ。共通点と違う点で面白がれます。自分に合う場所に到達できるまでが人より早いです。事前に調べなくても、感覚でいいものに近づく自信はあります。いつか自分の経験を生かした散歩番組や散歩本を手掛けてみたいです」
SNSで拡散「こんなバイトあるんだ」「やってみたい」
村上さんは自身のツイッターアカウントで当時の話を投稿すると、8千を超えるいいねがつき、「うわぁ超やりたい」「こんなバイトあるんだ」「これ面白そうだな」「路地裏好きだからやってみたい」など、うらやましがる声が多数上がりました。拡散した理由について村上さんは「1人でできるというところが大きかったのでは」とし、「孤独な仕事だけど、住宅地図に携わることで社会とつながっている、社会の役に立っている、という点も大きいのではないでしょうか」と分析しました。
▽村上賢司さん 映画監督、テレビディレクター。1970年4月生まれ。映画「オトヲカル」(山形国際ドキュメンタリー映画祭IDEHA賞)、「ゾンビデオ」、CM「AKB48前田敦子とは何だったのか?」、TV「森達也の『ドキュメンタリーは嘘をつく』」などを演出。著書は「日本昭和ラブホテル大全」など。