鳥取市青谷町蔵内の集落に、石垣に同化するようにして作られたカメの石像がある。高い石垣をひっそりとよじ登るような体勢で、一目見ただけでは気付かないほど景色に溶け込んでいる。なぜ石垣に「カメ」がいるのか、地元住民に尋ねた。
大きさは人の背丈以上、顔をよく見ると…?
「石垣のカメ」がいるのは県道280号を日置川沿いに南下した先の蔵内集落。集落の入り口の蔵内公民館から右手に進んですぐ、蔵内観音堂の石垣にある。
高さ約4メートルの石垣の上部に、カメが貼り付くように石が組んである。石垣に敷き詰められた複数の石がそのまま甲羅の模様になっていて、そこから両手両足、しっぽと頭が伸びている。カメの全長は石垣の高さの半分にあたる約2メートルあり、大人の背丈を超えるほどの大きさだが、周りの石垣と全く同じ色味のため、知らずに通っても気付かないかもしれない。
頭の部分だけが普通のカメと違い、ネコやライオンのような獣の顔に見える。甲羅だけでカメだと思ったが、もしかして別の生き物を表しているのだろうか。
石垣にはコケが生え、カメはかなり昔からあった雰囲気で、どういった経緯でできたのか気になる。
復興の中で縁起の良いものを
石垣の近くの住民を訪ねて回ると、昔から独自に石垣のことについて調べているという農業の片岡清春さん(81)から話を聞くことができた。
片岡さんによると、片岡さんが幼かった頃はごく普通の石垣だったそうだ。ただ、1943年9月に鳥取市で起こった最大震度6の鳥取地震により、多くの民家とともに石垣も一度は崩れてしまった。
被災した集落を復興していく中で、観音堂の石垣も復元する話になり、地元の石工たちからは「ただ復元するよりも何か縁起が良いものにできないか」との提案があった。もともと石垣がカメの甲羅に見えることに加え、カメは「鶴は千年、亀は万年」という言葉があるように、長寿の生き物として知られる。水生生物であるため、農業が盛んな集落で「水に不自由しないように」との願いも込められたという。
こうして、石垣が1955年に再建された際、思いのこもった精巧なカメの姿がお目見えした。集落で特別にカメにまつわる行事をする訳ではないが、片岡さんは「先人が作った大事な物という認識はみんな共有している。昔から特別にたたえないことで、かえって身近な存在に感じる」とほほ笑んだ。
カメのモデルも鳥取ゆかり
顔の部分は一体何の動物なのだろうか。片岡さんは「『亀趺(きふ)』という獅子のような顔をしたカメがモデルだと聞いている」と解説した。
片岡さんによると、モデルの亀趺は鳥取市国府町奥谷にある国史跡の、鳥取藩主、池田家墓所ゆかりのもの。亀趺は中国に伝わる、竜の子でありながら竜になりきれなかった空想の生き物で、顔の部分はものによってさまざま。故人の功績をたたえる石碑や、大名の墓石などを支える台座としてよく使われ、池田家墓所では獅子のような顔の亀趺が墓石の台座になっている。
墓所の亀趺をモデルにしたのも、石工の「地元に縁の深い人物との結びつきを表したい」という思いからだそうだ。災害復興という大変な時期でありながらも、先人たちはさまざまな思いを込めながら、地域のシンボルとして石垣の亀石を制作した。
片岡さんは「地元ではなじみ深い存在だが、町外の人たちにも、蔵内の歴史と亀石に込められた思いを知ってもらえればうれしい」と話した。
石垣をひっそりと登るカメの像には、災害復興や郷土の振興といった多くの思いが込められていた。今後も地域の守り神として「万年」残り続けてほしい。