どこまでも青い空が広がる北海道釧路市。動物園の真新しいキリン展示場の柵越しに、高い台の上からキリンの背中に手を伸ばし何か探るような人の姿が。その指先に見えるのは「鍼」。えっ、キリンに?? 公式サイトを確認すると、アミメキリンのオス「コハク」。生まれた時は自力で立ち上がれなかったこと、母乳を飲もうとせず人工哺育になったこと、脚や首の骨折など命の危機を何度も乗り越え、7月には3歳の誕生日を迎える-と。こんな大きな動物への鍼治療。する方もしてもらう方も相当な努力があったはず。釧路市動物園の獣医師、生駒忍さんに詳しく聞きました。
自力で立ち上がれなかった子どもが
―キリンに鍼治療。取り入れたきっかけは?
「コハクは誕生時に自力で立ち上がれず、飼育員4人がかりで支えてようやく立たせました。『四肢の屈腱弛緩と右アキレス腱の亜脱臼』と診断。翌日からは自力で立つことはでき、歩くことが運動になって筋肉が発達し、屈腱弛緩は徐々に緩和されたのですが、右後肢の蹄が内側に寝てしまう状態(過回内)が目立つようになったため、12日齢から鍼治療とテーピングをしました。テーピングで正しい立ち位置になるよう補正し、負担がかかって張ってしまう筋肉に鍼治療をする、という二段階の治療で改善が見られました」
―最近の治療、効果は?
「コハクは1歳を過ぎた頃に首をケガし、『第1頸椎の骨折』と、『第1-2頸椎間の脱臼のため曲がった状態』という異常があります。このため、首からお尻、太ももにかけて触診し筋肉が張っているところに毎日鍼治療をしています。背骨の歪みで歩行にも影響が出て筋肉の張る場所が毎日異なります。治療したところの筋肉は緩んでいるので効果があると考えています」
―大人しくしていました
「多少嫌なことでも受け入れてくれるよう『ハズバンダリートレーニング』を子どものころからしています。張りが強いと痛みもあるようで、チクチクチクと刺激するだけの日もあります」
クラウドファンディングも
―動物園での鍼治療、珍しい?
「それほど多くはないと思いますが、トレーニング下でなら安全にできるのでアプローチしやすい治療法と言えます。キリンではアメリカのサンディエゴ動物園でも行われています」
―尿がたくさん出たエピソードも
「後肢に効くツボが泌尿器系にも効くツボでした。『鍼治療は、人間でも子どもの方が疑う心がないため効果が分かりやすい』とのこと。コハクは人間が育ててきたので信頼感があり、効果につながったようです」
蹄を毎日チェックし「削蹄」も行っています。「草食獣が蹄を健康に保つことは死活問題で、野生下では異常があればすぐに捕食者に狙われます。飼育下でも体重の重い動物が体を支えるには蹄の健康は欠かせません。蹄の裏は本来は平らですが、泥がたまるなどして窪みができると、さらにたまりやすくなって蹄葉炎(ていようえん)という病気になることも。泥をかき落とし蹄が再生しやすいよう整えています。コハクは首の異常が脚にも影響しやすく内側だけすり減ってしまうので、外側に体重がかかりやすいように削っています」とのこと。
トレーニング下でスムーズに削蹄できていますが、実は一つだけ困っていることが。「小さい頃は脚を持ってあげて削蹄していたので、大きくなった今でも自分ではあげてくれず、『ちゃんと持ってね』とばかりに脱力して体重をかけてきます。もう560㌔を超えているので私では支えられないのですが…」
キリンはある程度成長すると他園に移動することが多いのですが、首の異常が残るコハクは移動が困難に。同園は終生飼育するために専用獣舎を整備。クラウドファンディングの呼びかけには地元はもちろん全国から多くの支援が寄せられました。
「大事に大事に育てたので、コハクはすっかり『王子様』です」と生駒さん。「不機嫌になることもあまりなく、素直で人間大好きな男の子です。産まれた時は無事に育つのか不安でしたが、すっかり大きくなりました。コハクに言葉をかけるとしたら? 『頼むからもうケガはしないでね』でしょうか」と語ってくれました。