「恋人の本心を知ろうとするのは暴力では?」学生の質問から見えてきた若者像「他者の内面に踏み込むことを悪と感じている」

中将 タカノリ 中将 タカノリ

他者の内面に踏み込むこ忌諱する現代の若者のスタンスがTwitter上で大きな注目を集めている。

きっかけになったのは小説家で東海大学文化社会学部で准教授を務める倉数茂さん(@kurageru)が投稿した

「学生と話していると、今の若い人がどれほど禁欲的に他者の内面に踏み込むことを悪と感じ、忌避しているかがわかって驚くことがある。恋人がいないというのもこういうスタンスと関わりがあるだろう。」

というツイート。

続けて

「他者を心理的に侵犯しないよう常に気を遣うというのは、優れた倫理的態度だと思う。ただ、それだけでは人間関係は進展しないとも感じてしまう。ここで内面に踏み込むというのは、相手の『本心』を知りたがるとか、相手の言葉に強く異を唱えるとかいったこと」
「昨年映画『花束みたいな恋をした』が話題になり、ヒットしたのは、マイナーな趣味を介して男女が一切の暴力性と無縁に通じ合い、心と体がつながるという奇跡のような事態を描いていたからではないだろうか。性欲からも暴力性が浄化され趣味こそが愛を生む。サブカル者のユートピア。少なくとも前半は。」
「なぜこう思ったかというと、授業である小説を読んでいて、恋人の『内面』を知ろうとするのは暴力ではないかという意見が出たから。なるほど、そう感じるのかと。恋人ともジェントルな距離を保ち続けるということかと。」
「自分はそういうスタンスにある種のリスペクトと愛おしさを感じるけど、でも孤独な道だよな。」

などと自論を綴る倉数さん。

少し前のデータだが、2016年に内閣府が全国の15歳から29歳の男女6000名に対しおこなったアンケート調査「子供・若者の意識に関する調査」によると、若者にとって自分の居場所だと感じられる場所は自分の部屋(89.0%)、家庭(79.9%)、インターネット空間(62.1%)、地域(58.5%)、学校(49.2%)、職場(39.2%)という順。

また他者と交流するにあたり「誰とでもすぐ仲良くなれる」と回答した人は43%。

倉数さんが指摘する通り、現代の若者は他者との深い交流に積極的でない人のほうが多いのだ。

倉数さんの投稿に対し、SNSユーザー達からは

「私は多分、上の世代と思われますが、今だと通信機器が発達した分、やりとりの手段が増えたからなのかな?と読んで思ったりしました。
昔だと電話か手紙か会うかなど限られたりしたので、気が合いそうならその場で距離縮めないと連絡先も聞く事が出来ないからかな?とか。」
「『感情とか要らない』というのもそういうスタンスと関わりがありそうです 内面に踏み込む/踏み込まれると、どうしたって感情的な反応が付随しますからね 無痛文明2.0って感じがします(3.0かな)」
「全く内面に踏み込まないわけではないんだけどペースが今と昔で大違いな気がする 上の世代の人は距離感の詰め方音速すぎて戸惑う。」
「リアルでは多分にその考察が当たる場面がおおいのだろうけど、ネットで短期間で互いに心的距離を縮められたり、必要以上に相手の心に土足で踏み込むこともできる時代。上の世代にはみえないだけで、人間なんてそんな変わるものじゃないし、別のところでバランスとってるかと。あと、常に自己批判を。」

などさまざまな意見が寄せられている。

読者のみなさんはこの傾向についてどう感じるだろうか。他者と交わらず孤独、自己完結を良しとする生き方は昔からないではないが、それを貫くのは相当な精神力を要する。若いうちは平気でも、年を取れば辛くなるということもある。若者ではなくなった世代の筆者としては、若いうちにこそ他者と交わり、そこに喜びを見出す練習をしておいたほうが…と思うのだがおっせかいだろうか。

倉数茂さんプロフィール

兵庫県出身。1969年生まれ。
小説家、東海大学文化社会学部文芸創作学科准教授。
早稲田大学第一文学部卒業。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。学術博士(専門は日本近代文学)。
早稲田大学在学中、批評を文芸雑誌「早稲田文学」に発表。2005年(平成17年)より5年間、中国の大学で日本文学を教える。帰国後の2011年、ジュブナイル小説「黒揚羽の夏」で小説家デビュー。同作は、2010年度(第1回)ピュアフル小説賞大賞を受賞。2019年(平成30年)、「名もなき王国」で第32回三島由紀夫賞候補に挙がる。

Twitterアカウント:https://twitter.com/kurageru

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