上司には覚えめでたいが、部下にはひたすら厳しい人を「ヒラメ」という。上の機嫌ばかりうかがうという意味だ。永田町ではさしずめ、虎視眈々と総理総裁の座を狙っている茂木敏充自民党幹事長がそれに当てはまる。その茂木氏は外務大臣時代、省内で22ページにわたる「取り扱い書」が作られたほど、気難しいことで有名だ。
昨年10月の衆議院選で小選挙区で落選したために幹事長を辞した甘利明氏の後継にいちはやく名乗りを上げ、念願の自民党幹事長に就任した時は、新しい幹事長を受け入れる党職員は恐怖におののいたと言われている。さすがにそのような「悪名」は出世に響くと気にしたのか、茂木氏は「性格を改めた」とも報じられた。
実際に4月14日に都内のホテルで開かれた志公会(麻生派)のパーティーでは、「(自分は)性格が変わった、明るくなったと言われる」と自画自賛。しかもその理由として「麻生副総裁と毎日会って話しているから」と、81歳の大御所をしっかりヨイショすることを忘れなかった。さらに第2次橋本政権で経済企画庁長官を務めた麻生氏を「エラくなる人が務めるポスト」と持ち上げる一方で、「私も(省庁再編で経企庁長官に相当する)経済財政担当大臣を務めた」と自分の有能さをちゃっかりアピール。だが人望の無さゆえか、調子の良いことは続かない。
ひとつはこの時、岸田文雄首相と安倍晋三元首相がともに1993年に初当選した時、麻生元首相に銀座のクラブに飲みに連れていってもらったエピソードを披露し、「プリンス」同士の絆の強さを見せつけた。一方で茂木氏も1993年の衆議院選で日本新党から出馬して当選したが、自民党には1995年に入党。純血主義の自民党では、歴然とした差が存在する。
また茂木氏は翌15日に開かれた近未来研究会(森山派)のパーティーに参加して、「みなさんは選挙が強い」と持ち上げたが、同派の前会長の石原伸晃前衆議院議員は立憲民主党の新人候補の吉田はるみ氏に惨敗。比例復活も叶わなかったのだ。
もっとも石原氏の事務所がコロナ禍で雇用調整助成金を受け取っていた問題で、茂木氏は「違和感がある。返却すべきだ」と容赦なく批判。2012年の総裁選に出馬した石原氏の選対責任者を務めた関係だったにもかかわらず、容赦なく斬り捨てている。
そのような冷淡さが露骨に現れたのが、連立を組む公明党との相互推薦問題だ。参議院選では自民党は公明党が候補を擁立する5つの複数区で推薦を出し、公明党は1人区で自民党候補を推薦することになっているが、今回の参議院選では年が明けてもなかなか決まらなかった。もっとも兵庫県選挙区など、3年前の票の配分の失敗が影響した選挙区もあるが、公明党側からは「公明票がなくても選挙が安泰の茂木幹事長の理解が足りない」との不満が出ていた。
また2021年10月31日の選挙で当選した衆議院議員にはわずか1日で10月分が満額が支払われた文書通信交通滞在費(月額100万円・非課税)の処理について、与野党が4月21日の各党協議会で決めることになっていたにも関わらず、茂木氏は自民党分を勝手に寄付した上に野党を批判。これには野党は大きく反発したが、高木毅自民党国対委員長は「幹事長と連携ができていなかった」と党内の風通しの悪さを匂わせた。
そもそも平成研は、「心配り、目配り、カネ配り」をモットーとした故・竹下登元首相が創設した。その竹下元首相の秘書を務め、いまだに平成研に影響力を持つとされる青木幹雄元参議院幹事長は、参議院選の後に茂木氏を引きずり下ろすつもりだとも噂されるが、総理大臣の座にあと一歩となった茂木氏の夢は、果たして実現するのだろうか。