マレーシアの路上で運命の出会い ひとりでは生きられなかった猫、飼い主さんの介助を受け楽しい毎日

岡部 充代 岡部 充代

 

 テオくんは推定4歳のオス猫。マレーシア・クアラルンプールの屋台が立ち並ぶエリアで“おこぼれ”をもらって生きていました。転機が訪れたのは2018年11月。現地でレストランを経営する岡田惠子さんの目の前に現れた時です。「もともと“犬派”で野良猫の写真なんて撮ったことがなかった」という岡田さんが、なぜかテオくんのことをスマホでパチリ。数か月会えない間も思い出しては写真を見ていたそうです。

 再会は翌19年3月。以前とは様子が違っていて、「お尻が真っ黒でハエがたかっていました」(岡田さん)。気になったものの急いでいたため何もできず、帰宅後、動物を保護してくれる施設数か所にメールで相談したところ、1つだけ返信がありました。

「猫専門の施設からでした。あなたが捕獲して病院で治療が全部終わった後なら引き取れると。猫専門のクリニックも紹介してくれました」(岡田さん)

 1週間後にようやく捕獲に成功。でも運悪くクリニックの休診日で、家に連れて帰ると悪臭が漂ったと言います。

「いま思えば、あの1泊で情が移ったんでしょうね。クリニックに直行していたら飼っていなかったかもしれません」(岡田さん)

 

捕獲から2か月後、家族に

 テオくんはその夜、一度もオシッコをしませんでした。気になった岡田さんは翌日受診したクリニックで相談しましたが、膀胱炎という診断が腑に落ちず、設備が整った大きな病院へ。すると尻尾の付け根辺りの骨折が判明しました。

「肛門に綿棒を入れても反応しない、神経が麻痺している、回復は難しいと言われました。自力でオシッコできないから絞ってやる必要があるし、便は垂れ流しになるだろうと。データを持ってクリニックに戻ると、『安楽死とは言われませんでしたか?』と聞かれてびっくりしました。日本では考えられませんが、この国では一生人の手が必要となったら、それも選択肢の1つになるんでしょう。私があまりに驚いたので、その反応を見て先生が『いいです、いいです』となりましたけど」(岡田さん)

 

 テオくんはそのまま入院するしかありませんでした。岡田さんが連れて帰っても、尿を絞ってあげられなければ生きていけないからです。クリニックからは3つの選択肢が提示されました。①保護施設に託す、②岡田さんが費用を払い続けて入院を継続する、③家に連れて帰って尿を絞る、またはクリニックに通って絞ってもらう。

「施設にはたくさんの猫がいるので毎日ちゃんと世話をしてもらえるか分かりませんし、費用を払い続けるのも毎日病院へ通うのも現実的じゃない。私が覚えるしかないと思いました」(岡田さん)

 覚悟を決めた岡田さんは1日2回ずつ3週間、病院へ通い、尿の絞り方を教えてもらいました。テオくんが退院して岡田さんの家族になったのは、捕獲から約2か月後の5月中旬のことです。

 

テオくんに選ばれた

 以来2年半以上、岡田さんはテオくんの排尿補助を続けています。それだけではありません。嘔吐や下痢が続いたテオくんはIBD(炎症性腸疾患)と診断され、2度の大手術を受けました。

「ある日突然、臀部に穴が開いて便が噴き出したんです。手術は成功したのですが、また同じことが起きて、2度目はさらに大変な手術になりました。大量出血で命を落とす可能性もあると言われたほどです。ステロイド治療を続けてIBDはかなり良くなりましたが、今度は膀胱炎を発症して、どの抗生剤も効かないから、いまは漢方薬やサプリメントを試しています。あとは鍼治療ですね」(岡田さん)

 

 テオくんのお世話にかなりの時間を費やしている岡田さんですが、「連れて帰ったことを後悔したことは一度もない」と言います。

「あの子に選ばれたと思うんです。マレーシアには野良猫がたくさんいるのに、気になったのはテオだけ。もう一回会いたいと思ったのもテオだけ。実は前に飼っていたチワワもIBDだったんです。膀胱がんもあって2年くらい介護したんですけど、テオもIBDと膀胱炎ですし、生まれ変わりとは言いませんが何か縁があるのかなと。最初に大きな病院へ行ってクリニックに戻る途中、家に一度寄ったんですね。そのとき部屋に放してみたら、まるでずっといたみたいにくつろいでいて。テオは私のところへ来る運命だった。いまはそう思っています」(岡田さん)

 岡田さんと出会っていなければ、テオくんは生きていなかったかもしれません。病院や薬とは縁が切れなくても、毎日美味しそうにごはんを食べ、元気に歩き、時には走り、飛び、外に出たがる素振りまで見せるというテオくん。生きたいから岡田さんの前に現れた――そんな気がしてなりません。

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