現在人気・好感度ともに絶頂のサンドウィッチマン。ともに仙台出身で、伊達みきお・富沢たけしの2人は仙台商業高校の同級生だ。
まず「富沢たけし」の「富沢」の由来。正しくは旧字体を使用した「富澤」である。「富」を使う名字は多い。「富田」「富山」「富野」など、「富+地形」という形で使用されることが多い。これらの名字は、地形由来の名字のうち、その地形に願いを込めたものである。
昔の人は言葉を大事にした。とくに名字のように代々使用するものには、縁起のいい言葉を使うことがあった。ただ「田」「山」「野」というだけではなく、「富をもたらす田」「富をもたらす山」「富をもたらす野」と、子孫が繁栄することを願って付けたものだ。つまり、「富沢」とは「富をもたらす沢」のこと。山の中を流れる沢は水があり、魚が採れ、さらに山では燃料源の薪もとれる。絶好のポジションに加えてさらに「富」を付けることで、自分の住んでいる場所を「最高の地」であった欲しいと願っている。
「富沢」は群馬県を中心に東日本一帯に広がっている。
一方の「伊達」は由来がはっきりしている。というのも、伊達みきおは名家の出であるからだ。
「伊達」と聞いて最初に思い出すのは仙台藩主の伊達家だろう。戦国武将伊達政宗の末裔だ。
伊達氏は藤原北家の出。藤原実宗が常陸国真壁郡伊佐荘(茨城県筑西市)に住んで伊佐氏を称し、その子孫の朝宗が源頼朝の奥州合戦に従軍して信夫(しのぶ)の佐藤氏を討ったことから陸奥国伊達郡を賜り、二男宗村とともに入部して伊達氏を称したのが祖。当初は「いだて」とも呼んだという。南北朝時代には山形県の南部に進出、戦国時代には今の宮城県にも版図を広げて、東北南部一帯を支配する大大名となった。伊達みきおの伊達家は、この戦国大名伊達氏の遠縁にあたる。
室町時代、伊達氏第8代当主伊達宗遠の二男宗行が伊達郡東大枝(福島県伊達市梁川町東大枝)に住んで大枝氏を名乗ったのが祖で、子孫は「大條氏」(おおえだ)と改称して江戸時代は仙台藩の重臣となっていた。この大條氏の本家は明治時代に名字を「伊達」に戻し、伊達みきおはその分家の子孫にあたる。
「伊達」も各地にあるが、宮城県には少ない。これは殿様と同じ名字は名乗らないという暗黙の了解によるもので、宮城県で「伊達」と名乗れたのは本当に伊達氏の一族である家に限られていた。