「〇〇京極」がいっぱい、京都特有の商店街名 なんで「△△銀座」ちゃうの?

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 新京極、寺町京極…。京都市内には「京極」と付く商店街がいくつもある。全国的には「~銀座」と呼ばれる商店街が多数存在するが、京都は「京極」。なぜだろう。各商店街や専門家に由来を聞くと、京都特有の事情が見えてきた。

■そもそもは…

 日本地名研究所の会員で、三重大名誉教授の鏡味明克さん(85)=名古屋市=によると、そもそも「京極」というのは、平安京の端という意味。平安時代、東と西の端に東京極大路と西京極大路があったことが起源という。後に、豊臣秀吉が天正18(1590)年、東京極大路を寺町通と改称。西京極大路は、通りはないが、地名として定着した。

 「京極」を通り名に使い始めたのは、明治5(1872)年の「新京極通」。新京極商店街振興組合によると、元祖の寺町通と区別する意味を込めて「新」と名付けたという。当時、東京の浅草、大阪の千日前と並び「三大盛り場」と呼ばれるほどのにぎわいだったといい、現在まで京都を代表する繁華街と称されている。

■あやかりたかったんや

 その新京極にいち早く影響を受けたのが、「松原京極」。少なくとも明治半ばには、松原通の一部で使われていたようだ。創業150年の井上漬物店の井上富成さん(70)によると、「京都松原京極」と書かれた明治期の包装紙がかつて自宅にあったという。「松原通は当時、京の南端で、新京極の繁栄にあやかる願いがあったのでは」と推測する。現存していないが、明治には「堀川京極」(現在の堀川商店街=上京区)もあり、大正末期には「壬生京極」(中京区)も生まれたという。

 戦後になり、再び「京極」と付く商店街が登場する。「寺町京極」が誕生したのは、1951年。同振興組合によると、それまで「寺町センター街」だったが、組合を設立する際、元祖「京極」の名を復活させた。

 「西陣京極」ができたのもこの頃。同商店会の高村諄一前会長(75)によると「新京極より発展するぞという気概をこめて名付けたと聞く」。他にも、「山科京極」(山科区)が53年ごろ、「田中京極」(左京区)も63年にできている。一方、「西京極」は、82年に商店街をつくる際、地域に根付いた地名を付けたという。

■「~銀座」は何個あった?

 「東京・銀座のにぎわいにあやかり、全国に『~銀座』という商店街があるように、多くが京都の代表格である『新京極』を模倣した」と鏡味さんは解説する。調査では、全国に「~銀座」は500以上あったといい、「京極は、銀座のように爆発的に広まることなく、ほぼ京都にとどまったようだ」としている。

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