『日本書紀』のなかで、「豊葦原瑞穂国(とよあしはらのみずほのくに)」と呼ばれる日本。「稲が豊かに実り、栄える国」という意味があります。神話の時代から稲作が営みの中心にあるが故に、秋にやってくる台風は人々の最大の関心事でした。
今回は、稲作と関係が深い、暦における「三厄日」についてご紹介します。
稲作が暮らしの中心にあった日本。厄日と台風の関係
暦のうえで、「三厄日」と呼ばれる日があることをご存知でしょうか。
「八朔」「二百十日」「二百二十日」がそれにあたり、古より暴風雨がやってきて稲作に被害をあたえる要注意の日とされてきました。
2021年は、八朔(旧暦8月1日)が9月7日、二百十日は8月31日、二百二十日は9月10日となっています。八朔の行事は、現在では新暦の9月1日や9月初旬に催す地域が多いようです。風を鎮めて五穀豊穣を祈る「風祭(かざまつり)」と呼ばれる風習があり、京都・松尾大社の「八朔祭」、山形の「大谷風神祭」などがあります。
厄日とは、陰陽道などで災難にあう可能性が高いとされる縁起の悪い日。私たちも災難や嫌なことがあった日を「厄日」ということがありますね。「厄日」は、秋の季語にもなっており、稲作が暮らしの中心にあった日本での暴風雨が、いかに切実な問題だったかが伝わってきます。
立春に紐付く雑節「二百十日」と「二百二十日」
「二百十日」と「二百二十日」は雑節として暦に記載されています。古より受け継がれた人々の知恵と経験が反映された雑節は、農作業を目安にした日本ならではの生活からうまれました。その他の主な雑節には、「節分」「土用」「彼岸」「八十八夜」「入梅」「半夏生」などがあります。
太陽黄経に紐付いているのは、春土用(27度)、夏土用(117度)、秋土用(207度)、冬土用(297度)、入梅(80度)、半夏生(100度)。それ以外の雑節は立春が基準になっており、節分は立春の前日、田植えや茶摘みの時期を知らせる八十八夜は立春から数えて88日目、二百十日と二百二十日は、立春から数えてそれぞれ210日目、220日目の日になります。雑節は国立天文台の暦要項に記載があり、天文現象に紐付いた暦日とされています。
秋の強風をあらわす季語「野分」と「芋嵐」
二百十日は中稲(なかて)の開花時期に、二百二十日は晩稲(おくて)の開花時期にあたるため、稲作にとっては大切な日でした。この日を無事に過ぎることを願う習慣から暦に記されるようなり、秋の暴風雨からは「野分」「芋嵐」という季語がうまれました。
【野分(のわき)/野わけ(のわけ)】
野の草を吹き分ける風のことで、秋の強風のこと。二百十日、二百二十日前後に吹く台風。古くは「台風」という用語がなかったため、台風を含め秋の強風はすべて「野分」と呼ばれていました。今日では、台風のように雨をともなう暴風ではなく、ただ野を吹き荒らす疾風を呼ぶことが多くなっています。
吹きとばす 石は浅間の 野分かな 松尾芭蕉
野分先づ 月の光を 吹きはじむ 斎藤玄
悉く 稲倒れ伏す 野分かな 寺田寅彦
【芋嵐(いもあらし)】
さといも畑一面の芋の葉に吹き渡る強い風。楯のような形をした柔らかい芋の葉は裏返りやすく、白い葉裏を見せて波立つさまは、野分ほどの強風ではなくても嵐のよう見える様子をあらわしています。同じような秋の強風をあらわす季語に「黍嵐(きびあらし)」があります。
案山子翁 あちみこちみや 芋嵐 阿波野青畝
雀らの 乗ってはしれり 芋嵐 石田波郷
芋嵐 土手ゆく人馬 吹きさます 菅裸馬
『日本書紀』では、天照大御神(あまてらすおおみかみ)が、神聖な稲穂を孫にあたる神の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に授け、地上でも育てるようにと告げます。神話にはじまる稲作は、春に豊作を祈り、秋は収穫に感謝する営みを繰り返しながら、今も受け継がれているのです。
季節の味覚は秋の野菜や果物に変わり、新米の季節も間近となりました。2000年を越える稲作の歴史を思いながら、今年も有り難くいただきたいですね。
参考文献
大野林火監修/俳句文学館編『入門歳時記』角川学芸出版、KADOKAWA
岡田芳朗・松井吉昭 『年中行事読本』 創元社