「地獄の釜の蓋もあく」もとの意味は全く違った!?お坊さんに聞くと「働きづめの人も休日を。です」

金井 かおる 金井 かおる

 「地獄の釜の蓋もあく」。最近、インターネット上でこのことわざを頻繁に見かけるようになりました。「災いが起こるぞ!」「収拾がつかなくなる」「混乱が起こるに違いない」といった意味合いで使う人が多く、中には「地獄の釜の蓋が開いたような暑さだ」と暑さの度合いを表す人も。しかしもともとは全く別の意味がありました。

「広辞苑」には「殺生の戒め、薮入り」

 「広辞苑 第七版」によると、「正月と盆との十六日は閻魔にお参りする日で、鬼さえもこの日は罪人を呵責しないの意。殺生の戒めに用い、またこの日を薮入りとして、住込みの雇人にも休養を与えた」とあります。「薮入り」とは「奉公人が正月および盆の十六日前後に、主家から休暇をもらって親もとなどに帰ること」。

副住職「鬼も休日。私たちも休みましょう」

 JR熊本駅から徒歩10分のところにある大宝山来迎院(らいこういん)。副住職を務める小川大心(だいしん)さんは幼少期から母親に休みをとるという意味だと教わってきたといいます。現在でも所蔵する地獄絵図を開帳した際には、参拝者に「地獄の鬼達も仕事を休むので、私たちも仕事を休みましょうという意味で使われます」と説明しているそうです。

浄土宗「働きづめの人も休日を」

 法然上人が1175(承安5)年に開いた宗派「浄土宗」の用語などを網羅した「WEB版新纂浄土宗大辞典」にも収録されていました。

 浄土宗の担当者によると「生活にも関わるような教訓としてこの言葉の説明を入れました」。解説は次の通りです。

 「正月一六日とお盆の七月一六日の休日、いわゆる藪入りを指すことわざ。この両日は閻魔の斎日である。地獄の釜は、地獄で罪人を煮えたぎらす大釜のことで、そうした地獄の釜の蓋も一年に二度は開いて、閻魔大王配下の鬼の獄卒たちも仕事を休むとされる。これにならって、常日頃働きづめの人も、この日ばかりは心身を憩い、休日とするわけである」

 最後はこんな言葉で結ばれています。

 「かつてはとくに労働条件もきびしく、それこそやむを得ずして寝食を忘れるばかりに働かされていた人たちにとっては、この地獄の釜の蓋が開く日が、どんなに待ち望まれるものであったか、想像にあまりあるものがある」(「WEB版新纂浄土宗大辞典」から引用)

 「地獄の釜の蓋もあく」のは旧暦の1月16日と7月16日。直近では2021年8月23日が旧暦7月16日に当たります。

災いを例えるなら「パンドラの箱を開けた」?

 災いが詰まった物を例えるなら、ギリシャ神話の「パンドラの箱」が思い浮かびます。パンドラの箱とは最高神ゼウスが人類最初の女性パンドラに「あらゆる災いを封じ込めて人間界に持たせてよこした小箱または壺」(「広辞苑」から引用)。取り返しのつかないことを「パンドラの箱を開けた」などと表現します。

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