「乗り鉄」も「工場萌え」も大満足…魅惑の「鶴見線」の旅 降りられない海芝浦駅に衝撃、数多くの「車止め」を堪能

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乗り鉄も工場萌えも満たしてくれる路線がある。それはJR東日本の鶴見線。内陸部の横浜市鶴見区の鶴見駅から港町である神奈川県川崎市の扇町駅までの長くない路線だ。短い路線であるにも関わらず支線が2つもあり、気軽に始発駅から終着駅まで乗り鉄を楽しめるのが良い。

終着駅がいくつもあるので、「車止め」をたくさん堪能できるのも素晴らしい。車止めとは、これから先はありませんよという線路のピリオド。車止めには歴史とドラマを感じる。鶴見線、南武線浜川崎支線には合わせて5つの車止めがある。心躍らないわけがない。

工場萌えは、横浜工業地帯や川崎工業地帯を走るのだから、もちろん大満足だ。静岡県富士市の岳南鉄道(がくなんてつどう)も工業地帯を走り抜けることで有名だが、千葉県に住む私がそこまで行くのは大変。首都圏に住んでいても楽しめる「乗り鉄+工場萌え」は鶴見線が最適なのだ。

鶴見線は1926年に当時の浅野財閥「浅野セメント」、つまり後の「太平洋セメント」の浅野総一郎氏によって作られた。鶴見臨海鉄道の浜川崎駅―弁天橋駅間と大川支線が起源だ。最初は貨物鉄道だった。沿線に工場ができる度に支線が増えていき、昭和18年の国有化で現在と同じ形となる。今も工場へ行くための路線であるため、出勤・退勤に合わせたダイヤ編成。なので、とても本数が少ない。

今日はそんな鶴見線を旅してみた。

鶴見駅の鶴見線ホームは高架上。改札を通るとそこは昭和の世界が広がっている。プラットフォームしかり、時計しかり、ベンチしかり。鶴見線80年の歴史年表も飾ってあって趣深い。

そしてまず1つ目の車止めと出会った。今日はいくつ見られるかな。

鶴見線は私が子供の頃の本によると、国鉄時代に製造されたカナリアイエローの101系が走っていたらしい。そして大川支線は国鉄になる以前の鉄道省が製造したチョコレート色のクモハ12形の単行。クモハ12形は25年くらい前まで走っていたとのことなので、乗ってみたかったなぁ。101系から103系を経て、現在はJRになってから製造された205系1100番台。

プラットフォームに到着した電車が海芝浦行きだったので、そのまま海芝浦へ。海芝浦支線はほぼ東芝の事業所の敷地を通る。車窓からは工場萌えを満たしてくれる工場の数々に、弾む心を止められない。

ここで2つ目の車止め。海芝浦駅は改札を出ると東芝の事業所の為、一般人は出られないのだ。以前は海をボーッと眺めるしかなかったが、今は東芝が作った海芝公園がある。ここからは鶴見つばさ橋、そして遠くにはベイブリッジも見える。ちなみに昼間は2時間に1本しか来ないので、来た電車で戻らないと2時間待ち。さすがにそれは勘弁なので、浅野駅まで戻る。

浅野駅の駅名の由来はもちろん、浅野財閥から。ここが海芝浦支線との分岐駅になる。浅野駅の次は安善駅。その距離、わずか約500m。目を凝らすと隣の駅が見えるほど近い。

安善駅にはタンク車が止まっていた。これは横田基地へのジェット燃料の輸送の為だ。後ろからしか見られなかったが、最新鋭DD200の姿も見えた。なかなか良い。

ここは大川支線の始発駅なのだが、大川行きは朝と夕方しか走っておらず、3時間待ちなので諦めた。残念。

そして浜川崎へ。ここで南武線の南武支線、正式には浜川崎支線へ。ここは川崎貨物駅から東京貨物ターミナルに至る貨物の大動脈だ。せっかく持って行った貨物時刻表が意味のないくらいバンバン通る。しかも結構なスピードで走るので、写真が難しい。幸運にも何とかEF66とEF65が撮れた。

浜川崎支線は鶴見線と違ってマンション群の中を走る。大きな工場などが郊外に移転し、そこにマンションが出来たとか。よって、お客さんは昼間でも多い。ここで3個目の車止めと出会った。ここは国鉄製造の101・103系の時代から205・209系の時代を経て、今は205系1000番台。

マンション群を通って尻手駅へ。ここで南武線と接続。南武線の233系8000番台を見て、浜川崎へ戻る。

16時を過ぎたので浜川崎から扇町駅へ。扇町へは昼間は行かないのだが、車止めを見に。扇町駅で4個目の車止め。普通、一日4個も車止めを見る事などまずないだろうが、私は車止めが好きなのだ。見に行かない選択肢はない。

扇町駅からは、化学薬品を貨物輸送しているとか。牽引するのはEF65・2000番台。昔はブルートレインを引っ張っていたのかな。

5つ目の車止めを見に大川駅に行きたかったのだが、ここでタイムアップ。これは次のお楽しみ…今度は工場街の夜景を見に来ようかな。

◆マグナム小林(まぐなむ・こばやし) 1971年千葉県千葉市に誕生。1994年8月、立川談志に入門、2000年8月上納金未納のため破門。以降、バイオリンエンターテイナーとして活動を開始。擬音ネタや東京節にあわせたなぞかけ、バイオリンとタップダンスをあわせた芸で多くの聴衆を魅了する。落語芸術協会と東京演芸協会に所属。千葉市立千葉高校時代には野球部のキャプテンを務めた。プロレスや競馬にも造詣が深い。

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