大阪大学が作った日本酒「緒方洪庵」 なぜ大学が酒を? きっかけは3年前の西日本豪雨だった

國松 珠実 國松 珠実

大阪大学が日本酒を作った。その名も「緒方洪庵」。

緒方洪庵は幕末の蘭学者。彼が大阪の船場に設立した「適塾」は、福澤諭吉をはじめ多くの優れた人材を輩出した。現在の大阪大学の原点でもある。そんな人物の名を冠した純米吟醸酒は澄んだ香りとキレのある味わいで、暑い季節にもぴったりだ。ところでなぜ今、大阪大学がそのような酒を作ったのか。そこには、2018年の西日本豪雨が深く関係していた。

 日本酒「緒方洪庵」の誕生

 純米吟醸酒の「緒方洪庵」は、生原酒と火入れ(加熱処理)の2種類。新政酒造(秋田県秋田市)から分離された「きょうかい6号酵母」と、兵庫県産山田錦を原料米に、「此の友(このとも)酒造」(兵庫県朝来市)で醸造された。今回は1つのタンクを使い、4合(720ml)瓶で生原酒400本、火入れ1100本の計1500本を製造。

「緒方らぼ」の大阪大学人間科学研究科の川端亮教授によると、受注や瓶のラベル貼り、箱詰めや発送作業、さらに請求書作成や入金確認まで、酒造り以外はすべて大阪大学の「緒方らぼ」のメンバーとその支援者で行う。

「ラベルのデザインもすべて弊学で行いました。『緒方洪庵』の文字は、洪庵先生自筆です。そして銘柄の上の3つの三角は『三鱗(みつうろこ)』と言い、愛媛県西予市野村町にあった緒方酒造の家紋です」。

なぜ、ここで愛媛県の酒蔵が出てくるのか。「大阪大学が『緒方洪庵』を作るきっかけになったのは、今から3年前の西日本豪雨です。この『緒方洪庵』という商標は、もともと愛媛県西予市野村町にあった緒方酒造から引き継ぎました」と川端先生。一体どういうことだろう。

 愛媛県西予市野村町にあった、本家緒方酒造とは

 「3年前の豪雨で川があふれ、タンクや機械などすべてが水に浸かりました。立て直そうにも多額の費用が必要で、酒造りは断念したのです」と話すのは、愛媛県西予市野村町の緒方酒造の社長だった、緒方レンさん。あの日、川のほとりにあった緒方酒造の酒蔵には濁流が流れ込み、浮いたタンクが蔵の天井を破壊する寸前だったという。

緒方酒造は250年以上続く酒蔵で、「緒方洪庵」や「児島惟謙」、「緒方惟貞」といった人物の名を冠した酒を造っていた。
緒方家はもともと戦国時代末期に豊後の国(現在の大分県)から野村にやってきた一族。全国で唯一、大相撲力士とアマチュア力士との取り組みが見られる「乙亥相撲(おといずもう)」も、150年以上前に野村を襲った大火からの復興を祈願した緒方家15代当主、緒方惟貞が創始した地域の伝統行事だ。

そしてこの緒方酒造の一族と、緒方洪庵とは共通の先祖を持つ。戦国末期に分かれたのだ。

 生まれ変わった日本酒「緒方洪庵」

 西日本豪雨の後、野村町を訪れた災害復興ボランティアの中に、大阪大学の教員もいた。大阪大学に縁の深い緒方洪庵と遠戚の、緒方酒造の実情を知り、何とか日本酒「緒方洪庵」を救いたいという思いから、大阪大学が商標を譲り受け、同じ銘柄の日本酒を作ることになったというわけだ。

商標を大阪大学に譲ったことに、本家緒方のレンさんは「緒方洪庵の商標は、大阪大学が持ってこそ価値があると思います。また、今は著名な人の名を商品名にできないので、そこにも価値がある」とほほ笑む。

新たに作られた「緒方洪庵」について「本家の『緒方洪庵』は少々重かったんです。それに比べて今回は軽め。今の人の口に合うはずですよ」と太鼓判だ。「緒方洪庵ゆかりの大阪、関西は名だたる日本酒が数多く製造される地域。そこで一人でも多くの方に、じっくり『緒方洪庵』を味わっていただきたい」。

 

 日本酒「緒方洪庵」の購入は、Facebookページから申し込み
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※生原酒は多くの方のご支援を受け完売しました。現在は火入れ酒のみを販売中
※専用用紙でFAXでの申し込みも可能
※現在は大阪大学生協本部前店、京阪百貨店守口店で販売中、順次販路を展開予定

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