意識なく、鼻に流動食のチューブが縫い付けられた小さな犬 愛しいペットの最期に備えて考えておくこと

小宮 みぎわ 小宮 みぎわ

往診を依頼されて、ある方のお宅にうかがいました。きれいに手入れされたお庭、元気な木々、素敵な大きなお家…。中に入らせていただくと、そこにはガリガリで骨と皮だけになった小さな犬が、籐のかごに入っていました。

意識はありません。とても体が冷たく、鼻には流動食を胃に流し込むためのカテーテルが縫い付けてありました。

ご高齢のご婦人が飼い主さんでした。これまでの経緯をお聞きしました。

この犬は15歳の女の子で、20日ほど前に食欲がなくなったので、近くの病院へ連れて行ったところ、腎臓の機能低下があるので点滴をしましょうということになり、数日皮下点滴に通ったそうです。しかし、食欲は全く改善せず、飼い主さんは、今度は大きな動物病院へ連れて行き、いろいろ調べてもらったそうです。その結果、血液検査の値が基準値よりも異常に高い数値が6つ…。基準値よりも異常に低いものが、3つ…。

ということで即入院となり4泊5日したそうです。費用はとても高額だったそうですが、退院時に症状の改善はなく、鼻に縫い付けられたカテーテルから流動食を入れるようにと指示され、たくさんの病名をつけられて、たくさんのお薬を持たされて帰ったそうです。

その後も、3日に1回の再診を指示され連れて行くのですが、連れていく度に採血されてそのたびに支払う治療費が大変だったそうです。担当医は毎回、やせ細った彼女(犬)から採血をして、血液検査の値をみてたくさんの薬を出して返す…それだけでたっぷり半日はかかり、帰る頃にはすっかり夜になり、飼い主さんは夜の運転も相まって、精神的にも経済的にも大変に疲れたそうです。そして思ったそうです。

「この子を診て欲しい、血液を診るんじゃなくて…」

飼い主さんは私におっしゃいました。「血液検査をして参考値から外れていたらそれを参考値に戻すための薬を出す…病名をたくさんつけられたけど、病気は以前から言われていた心臓病と腎臓病だけで十分です。たくさん病気を見つけてくれても、この子はちっともよくならないのです」

飼い主さん側からの話をお聞きしただけでは、はっきりとしたことは申し上げられませんが…。ただ、血液検査と、この意識のないやせ細った状態をみれば、もう助かる見込みのないことは明らかでした。命の灯は消えかかっています。病名は…栄養失調、吸収不良による多臓器不全とでも申しましょうか…。生きるための精気が抜けているのです。

3日前にもその病院へ行かれたそうですが、その時と今と、状態はあまり変わらないということでした。

その3日前の担当医が私だったとしたら、「とても残念ですが、この子は既に回復する見込みはないと思います。治療の甲斐なく、申し訳ございません。残された時間を、どうぞご自宅で、一緒に大切にお過ごしください」というお話をさせていただいたと思います。いまはさらにその日から3日が経過しており、ますます精気が減っていました。

獣医の大学では、「終末医療」についての授業はありません。動物病院で勤め、先輩獣医師や院長のされていることを見ながら何となく自分の考え方が固まっていったように思います。しかし最初の頃は、最後まで出来る限り手を尽くすのが医療なのかなと考えていたところもありました。経験のないうちは、自分の診ている動物がいつ頃亡くなるのか、あとどのくらいなのか、治療しても良くならないものなのかの予想がつかなかったということもあると思います。治療を頑張れば、ひょっとすると助かるのではないか、奇跡が起こるのではないか…。今思うと、医学を「過信」していたのだと思います。 

しかし、ヒトを含めて、動物はいつか亡くなるものです。

ヒトの医療でも、ヒトの医療の方がことさら、患者の死は手術の失敗、医学の敗北を意味するため、最後の最後まで攻めの医療を施すのが当然という風潮が、過去には主流でした。点滴のチューブ、人工呼吸器のチューブ、尿を排泄させるチューブ、脈拍や血圧を調べるチューブ、胃ろうのチューブなど、何本ものチューブを体に付け、ほとんど意識のないまま長期間ベッドに寝かされている状態を、「スパゲティ症候群」と呼びます。ヒトの最期がそのような状態なのは、かえって苦痛を強いられるだけ(この苦痛とは、肉体的な痛みだけを言っているのではありません)ではないかということで、終末期における医療選択の権利が保証される社会の実現を目指して、尊厳死を啓蒙して活動されておられる医師の方々がおられます。

動物医療も同様に、飼い主さんが飼っておられる動物の終末医療の選択を、気兼ねなく獣医師と相談できるようになればと思います。そのためには、動物病院の獣医師全員が教育されなければなりません。また、あまり考えたくはないのですが、治療をしてもあと数日でなくなるのではないか?という「見立て」も大切です。そしてその「最期」を、飼い主さんも獣医師も、しっかり直視してゆっくり話し合い、1日でも長く生きて欲しいのか?よくなる見込みがないのであれば、緩和ケアをして残りの時間を穏やかに過ごさせてあげたいのか?私たち獣医師は、きちんと飼い主さんにお伺いしなければならないと痛感いたしました。

   ◇   ◇

私は、彼女の冷え切った身体をお灸で温めました。そのとき、彼女の顔がホッとしたように見えたと飼い主さんはおっしゃいました。翌日、彼女は静かに息を引き取ったと連絡が入りました。ご冥福を、心よりお祈りいたします。

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