品川駅の南なのに「北品川駅」? 下町情緒を残す江戸落語の舞台にもなった「品川宿」の今昔

寄席つむぎ 寄席つむぎ

大東京の玄関口のひとつ「品川駅」。その品川駅から京浜急行に乗って南下すると次の駅名が「北品川駅」です。なぜ品川の南が北品川なの?と疑問に思われるでしょう。

そもそも「品川」とは、江戸四宿の中で最も栄えた東海道の第一宿場。品川宿と呼ばれていました。日本初の鉄道施設にあたって、宿場から北に外れた海を埋め立てて品川駅ができたのです。ですから、北品川より南側が本来の「品川」です。

品川宿は京急線の北品川~新馬場~青物横丁にほぼ沿っています。さて、古典落語の舞台にもなった宿場町はどんなところなんでしょう?

女郎屋の高級店があった場所…今はなんとコンビニ

現在の品川宿は下町情緒あふれた商店街です。明治以降の埋め立てで東京湾は遠くなってしまいましたが、かつては海沿いの東海道。とても大きな宿場で全長2キロほどもあり、北から歩行新宿(かちしんしゅく)、北本宿(北品川宿)、目黒川を渡って南本宿(南品川宿)と3つのエリアに分かれていました。

街道の両側には旅籠(宿屋)がずらりと並んでおりまして、東側は建物の向こうがすぐ海。落語『居残り佐平次』によると大変に空気もよく風光明媚だったんだそうです。

宿屋と言っても色々あって、大名行列などが泊まる官営の「本陣」から、飯盛女という名目の遊女を置いた「飯盛旅籠」まで多種多様。他にも茶店に飯屋に一杯飲み屋、神社仏閣エトセトラ、品川宿はあらゆるアミューズメントを兼ね備えた一大テーマパークだったんですって。

落語の舞台となるのはやはり遊女屋の飯盛旅籠で、これにもランクがあってピンキリです。有名な高級店は「土蔵相模」と「島崎楼」、北品川駅を降りて旧東海道に入るとすぐに「土蔵相模跡」の案内板がある。今はなんとコンビニです。

落語『品川心中』では「品川の新宿の桟橋付きの白木屋という大見世で…」とあるのでやはりこの辺り。金に困った遊女・お染が客の金蔵に心中を持ちかける。

「雨戸を 一枚繰り上げて庭に降りる、桟橋に出る木戸には錠がしてありますが長年の潮風で壺金が腐っていたものか、がっちり開いたを幸い桟橋に出る、外は真っ暗がり。空は一面の雨模様……桟橋は長いが命は短い」

お染に海に突き落とされた金蔵、必死にもがいたら品川は遠浅だから水が腰までしかなかった…。コンビニ近くの脇の路地を進むと船溜まりがあって、埋め立て前の面影を残しています。

鼻からダボハゼを出しながらびしょ濡れの金蔵が立ちつくしたのは、きっとこの辺り。現在は脇のベンチでお婆さんたちがにこやかに談笑している和やかな風景になっています。

落語の舞台にもなった鰻屋はイタリア料理店に

品川宿の遊びといえばやはり落語『居残り佐平次』。佐平次が遊郭で居続けをして三日目の朝。

「またちょいとお酒を願いましょう。荒井屋ィ行って鰻の中荒なんかとってもらおうか、あったかいおまんまの上へ鰻のっけのお茶かけの、鰻茶漬(うなちゃ)、どうだい?」

勘定を誤魔化そうと口八丁の佐平次ご指名の荒井屋は、実在の鰻屋。残念ながら十数年前に廃業してしまいましたが建物は健在で、今はワインとイタリアンのお店になっています。

ちょうど時分どきだがパスタの気分でもなし、鰻は高いしと思って商店街を歩いていると、「エビ天丼600円」の看板が目に飛び込んできました。値段的に過度な期待は避けていたのですが、何とエビ天3本+その他6天ぷらという豪華版。創業昭和十二年、オーディオマニアの親父さんが店内に心地よいジャズを響かせていました。

街道の裏道も歩いてみましょう。

東側は先程の船溜まりや旧荒井屋前の通りが旧海岸線、その向こう側は江戸時代に埋め立てた洲崎、利田新地(元・天王洲)。寛政年間に16mの鯨が打ち上げられたんだそうで、鯨塚には「江戸に鳴る 冥加やたかし なつ鯨」と句が残されています。その先の小学校は黒船対策の砲台・御殿山下台場跡。歩くだけで埋め立ての歴史が偲ばれて楽しい。漁師町でもあり魚の美味い品川の遊郭に佐平次が目を付けたのも頷けます。

西側はずっと寺町になっていて、各有名宗派はもちろんのこと、時宗、黄檗宗の寺院まであります。神社も鎮守様から小さなお稲荷さんまで点在していて神社仏閣好きにはたまりません。

そして南品川宿の南端、宿はずれには各街道の旅人の安全祈願を祈った江戸六地蔵のひとつが鎮座まします。旅人を見送るときはみんなで一晩宿場で遊んで翌朝、この宿はずれで別れたんだそうです。中には品川で旅費を使い果たしてすごすご帰った間抜けな輩もいたんだとか。

街道をまっすぐ行くもよし、脇道に逸れるもよし。旧東海道品川宿は江戸と令和をつなぐ、温かみのある商店街でありました。

宿場を超えるととその先は鮫洲の商店街、立会川の商店街、大森、平和島、蒲田と東海道は続きます。ああ、このまま京都まで行ってしまいそうだ!

◆春風亭伝枝(しゅんぷうていでんし) 昭和47年、静岡県修善寺町(現・伊豆市)出身。平成9年、春風亭(現・瀧川)鯉昇に入門、四番弟子。平成13年二つ目昇進、平成22年真打昇進。肩肘を張らない飄々とした芸風で、特に女性の描写が秀逸。膨大な知識に裏打ちされた落語は、見る者を納得させるだけの力がある。落語芸術協会会員で結成されたハワイアンバンド「アロハマンダラーズ」の一員で、スチールギターを担当。楽器は他にウクレレや三味線、ベースも嗜む。小汚い酒場が好き。

▽伝枝師匠のトークは以下からもお楽しみいただけます
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