「おばあちゃん家で見た…!」昭和の“型板ガラス”が美しいお皿に 廃棄も震災もまぬがれ2~3カ月待ちの大ヒット

広畑 千春 広畑 千春

 銀河に紅葉、古都につづれ…。風流な名前の数々ですが、すべて昭和初期に人気を博した「型板ガラス」の名前です。片面だけに繊細な線と凹凸が刻まれ、柔らかな光が差し込む-。飾り障子のような意匠で、かつプライバシーも保てるとして盛んに生産されましたが、昭和の終わりには作られなくなり、古い家屋の解体と共に廃棄されていたそのガラスをリメークしたお皿が、話題を呼んでいます。

 作っているのは、神戸市長田区の「旭屋硝子店」。「まさか、こんなことになるとは…」と苦笑しながら、3代目店主の古舘嘉一さん(52)が迎えてくれました。近くの工場の社員寮を改築したという築50年超の店舗には、型板ガラスの端材と、出荷を待つお皿が並び、天井からは雰囲気のあるランプシェード。数種類の型板ガラスを並べて作った欄間は、穏やかに光を反射しています。

 古舘さんはここで一人、丸く切り出した古い型板ガラスの断面を研磨機と手作業で慎重に削っていきます。欠けやゆがみ、側面のざらつきなどが少しでもあれば、商品にはなりません。何度も目をこらし、指の腹で丁寧に確認しては作業を進めます。

大震災もくぐり抜け…祖父の代から父が集め続けたガラス

 店は昭和2年に古舘さんの祖父が創業。ガラスやランプ、金物などを扱い、父の代にはサッシの取り扱いを始めました。ですが1995年の阪神・淡路大震災で周辺は大きな被害を受け店も被災。復興に向け大規模な再開発事業が進む裏で景気はどんどん悪化し、業界内でもメーカーが直接ハウスメーカーに納入する流通形態が増え、昔ながらの町のガラス屋は次々と店を閉めていきました。

 そんな逆境の中、古舘さんは20年近く勤めた会社を辞め、家業を継ぐことを決意しました。元々、一切ガラスには興味はなく、父も「継いで欲しい」とは一度も口にしなかったどころか、むしろ「本当にいいのか」と心配されたそう。それでも「人生を長いスパンで考えた時、このままサラリーマンでは終わりたくないな、と。デザインや図工、美術なども好きだったし、せっかく家業があるなら継ぎたいと思った」といいます。

 そして、震災をくぐり抜けた倉庫に初めて入り、見つけたのが、恐らく祖父の代から父が知り合いの建築業者からもらい受け、保管していた古い型板ガラスの端材でした。

 「いろんな柄があって、面白いな、キレイやな…と。もう古い型板ガラスは作られておらず、ほぼ廃棄処分されていたのですが、もったいないし何かに使えたら…と置いていたそうです。震災で相当割れてしまったけれど、それでもまだ残っていた」と古舘さん。「父に『もう処分するか?』と言われた時、思わず『置いといてー。何かに使うから…』と言っていました」。そして、ステンドグラスやガラス工芸を学び、2004年ごろからランプシェードやお皿を作るようになりました。

1カ月に数枚が…コロナ禍で突然訪れた「転機」

 数年後には、当初使っていた厚手の4㎜ガラスから、より薄い2㎜ガラスを使った皿作りに挑戦。「強度に不安もあったんですが、作ってみると意外としっかりして、何より型板ガラスならではの繊細さが表現できた」と古舘さん。とはいえきちんとした販路もなく、商店街に建てた小さなお店と、急ごしらえのネットショップで細々と販売し、家業とバイトを掛け持ちしながら制作を続ける日々。ガラスを持ち込んでくれた建築関係の人にお礼であげたり、完成したお店で使ってもらったりしていました。

 そして、「その日」は突然、訪れました。

 コロナ禍で在宅する人が増えたためか、ネットショップでの注文が少し増えたな…と感じていた昨年9月末、お皿を購入した人のツイートが6.7万いいねを集める大反響に。それを受けて一気に700件、2000枚をはるかに超える数の注文が舞い込んだといいます。

 とはいえ、作業するのは古館さん一人。ガラスを切り出し、磨き、汚れを落として表面処理を施したら、柄が溶けてしまわないよう、それでいて小口に軽くツヤが出るよう温度を管理しながら約12時間かけて焼成します。1回に作れる枚数は最大で14~15枚。ガラスの模様によっては切り出せる枚数に限りがあったり、焼いてから傷や汚れが分かったりするものも。

 年明けまでかかって前回の注文分をようやく作り終えたと思った2月、再び購入した人のツイートが話題に。「ツイッターは6年前に開設したものの投稿は全くしておらず、『バズる』とかもう、全く自分のことだと思ってなかったから、もう、ただびっくりで…。この世知辛い世の中に、素敵な方も多いのだなと改めて感じましたし、本当に言葉通り『うれしい悲鳴』です」と話します。

年月と思いを受け継ぎ…「リサイクル」でなく「サイクルアップ」

 材料のガラスもいろいろな建具屋や建築関係の業者に頼んで提供してもらって来ましたが、それでも足りなくなり、困り果てていたところに、東京のガラス店から連絡が。聞くと、「5年前に亡くなった父(先代)がいろんなガラスをためていて、処分するよりどうにか有効活用したい」と採算も度外視して提供してくれたといい、「本当にいろんな方に助けて頂いている」と古舘さん。

 「『これ、おばあちゃん家にあった』『懐かしい』と、僕よりも思い入れが強いのでは…という方も大勢おられて…本当に嬉しいです。古民家のリノベーションも流行ってはいますが、やはり古さや費用面で断念される方も多いと聞きます。でも、お皿なら気軽にあの時代を今に、将来にもつないでいける。『リサイクル』ではなく『サイクルアップ』なのかな、と」

 古舘さんによると、昭和の型板ガラスは30~40種類は優に超える種類があったとみられ、使われた環境や年月でも表情がそれぞれ違うそう。そして、そこから生まれたお皿なども、一つとして同じものはないのだといいます。古舘さんはそれを「昭和ガラス」と呼び、最後まで無駄にしないように…と、お皿を切り出した後の端材の「生かし方」も模索中です。

 手に取ると軽く涼やかでいて、どこか温かい。1枚のガラスが経てきた歴史と、ここにたどり着くまで関わってきた人たちの思いが、そう感じさせるのかもしれません。

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