「もしりんごが(この世から)なくなったら君はどうする?」
コロナ禍もあり通販全盛の時代でなお、昔ながらの行商を続けているある行商人が、リンゴを届けに行った先で出会った80歳ぐらいのおじいさんに、こんな言葉をかけられました。
「りんごがなくなったら、今縁がある人が作っているものを売ります」
行商人が答えると、おじいさんは「りんごも(売りに行く)都市も何らかの理由でなくなったらどうする」とさらに問い掛けます。
少し考えて、行商人は尋ねました。
「売り物は自分で準備しますか?誰かの作った物を売りますか?」
おじいさんは答えます。「自分で準備するとして」
…それは、行商で青森県大鰐町産のリンゴを売る片山玲一郎さん(38)が先日、ツイッターに投稿した一コマです。
片山さんはつづります。
「『うーん、では僕は釣りが得意なので、何人か釣りの得意な人を集めて海の近くに住みます、魚種を絞って、干物をつくる人と鮮魚を売る人に別れて田舎町を探して行商して新しい道を開拓します。山なら山で詳しい人と組んで山でとってきてもらった物を僕が行商して売ってきます。難しいだろうからエネルギーが出てきっとうまく行きます』
ようはあんまり変わらないです…そう話す頃には、じいちゃんは嬉しそうに頷いて『わしも連れていってくれ、生まれが山間だから山には詳しい』
「『えっ?これはなんの話なんですか?』と笑いながら聞けば、コロナで自宅自粛していて、とっても暇らしく、(もし)と言う言葉で遊んでいた所に僕が来たようでした」
片山さんは続けました。
「しかし、りんごがなくなったらどうするのか胸踊る自分を知る事ができてよかったです。新しい角度から自分と出逢えた。おじいちゃんありがとうございました。じいちゃんが何も気にせず、自由に外に遊びに行ける日が1日でも早く訪れる事を切に願います」
コロナ禍で、通りすがりの人と話すことも滅多にない中、まるで違う世界にいるような、ちょっと不思議で心温まるお話に、ツイッター民からは「現代のおとぎ話のよう」「想像を超える展開」「大切な事を思い出せた気がしました」などのコメントが寄せられ、1.5万以上の「いいね」が集まっています。
お客さんとの一期一会「コロナ禍でも変わらない」
片山さんがリンゴ売りになったのは19年前。当時ジャズピアニストを志していた片山さんの髪型は大きなアフロだったため、「その髪型のままできるアルバイトを」と探して偶然出会ったのが行商の仕事でした。ですが、全く違うように見えて、実は舞台から魅せ聴かせるピアノと同じで、その場の空気に合わせて自分を表現できる行商の楽しさに、すぐに夢中になりました。
「気持ちが合えば、全然売ろうとしていなくても突然『買うわ』とポンと大口で買ってくれるお客さんもいるんです」と片山さん。「もちろん、品質には自信を持っていますし悪い物は売らない。でも受け入れてくれるかどうかは自分の表現次第。僕は素の自分をさらし、表現し、相手とセッションする。まるでストリートパフォーマンスのよう」とも。実際、仲間には絵描きや物作りに携わる人も多いのだといいます。
「僕らには肩書きがないですし、お客さんの肩書きも知らない。ふらりと気の向いた場所に行き、ただ『リンゴいりませんか』とリンゴを載せた車を指さすだけ。僕が素だから、お客さんも素になれる。旅の出会いにも似ているかもしれませんね。リンゴを売っているようで、売っていない。僕にとってリンゴはお土産みたいなものなんです」と話します。
それでも、リンゴだけで妻と5人の子どもを養うだけの収入があり、コロナ禍でも「むしろ売り上げは伸びた」と片山さん。新たにツイッターも始め、今後はリンゴの他に、縁があって知り合った作家の本や作品を行商で売ったり、売る事に困った農家を行商で手伝って売り方を伝えていく-など、新しい展開も考えていると明かします。
「みんな○○の社員、役職、父親、母親、子ども…様々な肩書きを背負って鎧を着けて生きている。その荷物を一つ一つ下ろして、一期一会でも“裸の付き合い”ができたらいいな、って。僕が知る限り、コロナ禍で人は逆に優しくなった気もするんです。一部の特殊な事例がSNSやメディアで拡散され、それに振り回されて自分で自分を縛り付けているような…だからこそ多くの人が『素になれる場所』を探しているのかな、とも思うんです」
人に出会って良いと思った物を仕入れ、人に出会ってそれを売る。売る人や品質に惹かれ、買う。世の中が便利になって忘れられかけているけれど、大昔から、世界中で続いてきた、変わらない「商い」の原点。
「大変な時代ですが、『リンゴです』と声を掛けて、誰かが笑ってくれているうちはまだ大丈夫かな、って思うんです」