「嫁」呼びで“炎上”問題…格好良かったお姑さんの姿「言葉そのものより使う人の意識の問題では?」

ハイヒール・リンゴのつぶやき

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 先日、夫婦の何気ないやり取りをつづったあるメーカーの公式SNSが、妻を「嫁」と書いて、一部で批判を呼び、企業側が謝罪したという“事件”がありました。

 これに対し、極楽とんぼの加藤浩次君がMCを務める番組で「謝罪しなければならない状況が異質」とコメントしていましたが、私も全く同感です。たわいもない会話の中の一言で、誰かを傷付けたわけでもない。言葉尻を捕まえて何でもかんでも攻撃する今の風潮は疑問です。

 確かに、番組内で100人に聞くと、「嫁」という呼び方が「気になる」人は25%、「気にならない」は75%だったそう。もちろん少数派だからといって嫌な人の気持ちを無視して良いわけではありませんし、5%でも3%でも思いは尊重されるべき。でもそうした“多様性”の大切さを訴えながら、一方で「言葉狩り」をする「ネット民」と呼ばれる人達が存在するのも又現実なんですよね。

 私自身は人に話す時、夫の事を「旦那さん」もしくは「○○さん」と名字で呼びますが「主人」は殆ど使いません。言葉の成り立ちを考えると「お互い働いているし、人としても対等だし」と感じるからですが、だからといって夫を「主人」と呼ぶ人に違和感も反発もありませんし、ましてや他の人が私の夫のことを「ご主人」と呼んでも謝って欲しいなんて思いません。

 芸人の間では「嫁」や「かみさん」が多いですが、私の旦那さんは若い頃東京で過ごしたからか、私の事を一時「女房」と呼んでいました。「嫁」という言葉はそもそも「息子の妻」を指す言葉で、「女房」は昔の女官から転じて家の中にいる人の意味なんだそう。語源は確かに様々ですが、そもそも言葉は時代によって使い方も意味も変わっていくもの。歴史を知るのは大切ですが、全て理解して使えと強いるのは今の時代には無理があります。

 それに新婚当初ってやっぱり「嫁」とか「女房」とか言われるのがちょっと嬉しかったりする時期ってありますよね。ちょっとの期間ですが(笑)結局はお互いの関係性であり、お互いがどう思い、どう感じるかに尽きると思います。私のお姑さんは専業主婦でしたが、お舅さんに「家内です」と紹介される際には必ず、「○○でございます」と名字で挨拶をされていました。「家内」という呼び方を受け入れるでも、怒るでもない。ただ私は○○という姓の一人の女性です、という意思表示をされている様で。その姿が凜としていてすごく格好良かった。お姑さんは脳トレにと大学共通テストを毎年解いていたような方で、今で言えば“意識高い系”だったのでしょうが、私もその姿は強く印象に残っています。

 さらに言えば、今回企業側はすぐ謝罪しましたが、最近特に「謝って済むなら…」とリスク回避する風潮が強まっているような。アンジャッシュの渡部建君の謝罪会見もそう。その筋では“大先輩”の狩野英孝君が「直後でも2年後でも5年後でも叩かれる。謝罪会見とはそういうもの」と言っていましたが、本当に反省しているかどうかは何か月か何年かしたら分かるもんです。本当に悪いと思っていない人は、しばらくしたら又、同じ事を繰り返しますから。

 ビートルズの「アビイ・ロード」の映像からタバコを削ったり、コロナの外出自粛期間中に旅行の話題をした「サザエさん」が批判されたりするのもそう。本当に、今のこのとりあえず批判する“不寛容さ”は、行き過ぎではないかと思うのです。

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