「関より東が関東、関より西が関西」…28年後に関市の宣言が話題に

中将 タカノリ 中将 タカノリ

「関より東が関東、関より西が関西」

とする岐阜県関市の宣言がSNS上で大きな注目を集めている。

この宣言は1992年に発表されたもので、関市の文化観光施設「関鍛冶伝承館」の玄関前にはW・Eセンターポールせき」という記念碑も作られている。

「宣言
関より東を「関東」、関より西を「関西」という。 ここに、関市が関東・関西の分岐点であることを宣言する。
平成4年4月15日
関市」

発表から28年の時を経て、発表当時には存在しなかったSNSでバズるという不思議な運命をたどったこの宣言。しかし歴史学的には「関東」という言葉は、7世紀に設けられた東海道の鈴鹿関、東山道の不破関、北陸道の愛発関より東を指す地域として生まれ、「関西」という言葉は9世紀に近江国(現在の滋賀県)に設けられた逢坂関より西を指す言葉として生まれたということで、関市の宣言とはいささか矛盾してしまう。この宣言はどういった経緯で、どのような狙いで発表されたのだろうか?関市観光課の方にお話をうかがってみた。

中将タカノリ(以下「中将」):関東・関西の語源には他にも有力な説があるようですが、関市の宣言はどのような経緯で発表されたのでしょうか?

観光課:関市は古くから食べ物や言葉など東西文化の要衝で、 京都から飛騨に通じる交通の分岐点として栄え、 この地に関所が置かれたのが「関」 の地名の起源と言われております。

平成22年の国勢調査で人口重心地が当時の郡上郡美並村に存在し、 日本列島のほぼ中心「へそ」に位置したことから、 関市を東西文化の分岐点として捉え、「関より東を関東、 関より西を関西」と宣言しました。

平成フィーバーの時に有名となりました道の駅「平成」がある 関市の武儀地域は平成17年、22年、 27年の国勢調査で人口重心地となっております。「W・ Eセンターポールせき」を活用し関市を関東・関西の分岐点として知名度向上や観光振興に繋がるよう広く情報発信していきたいと考えております。

中将:やはり関市市民のみなさんは「うちが日本の中心!」というような意識があったりするのでしょうか?

観光課:日本地図を見てまず岐阜県が真ん中にあり、 その真ん中に関市が位置することもあり、 小さいころから日本の真ん中にある市という認識はあると思います 。ただし、 残念ながらこの宣言についてはあまり知られていないのが現状です 。

 中将:こんなにインパクトのある宣言が地元で知られていないのは残念ですね。SNSで話題となっていることについてどう感じておられますか?

観光課:まさに「W・Eセンターポールせき」 を観光誘客の材料の一つとして有効活用できないか検討をしている ところだったため、 このタイミングで関市が話題となりとても嬉しいです。

 

 ◇ ◇

お話から察するに、この宣言は語源というよりは「現代日本における関東・関西の中間地点」という意味合いを重視して発表されたもののようだ。

観光課の方のお話にもあったが関市は現在「日本一の刃物の町」として観光客誘致に力を入れており、今年度末には関鍛冶伝承館と同エリアに刃物のまち関市の魅力を全国へ発信する観光案内所「せきてらす」と市内事業者が製造する刃物を購入できる「刃物会館」をオープン予定。

 また毎年秋に2日間で25万人を動員する一大イベント「刃物まつり」 は昨年は台風、 今年はコロナの影響で2年連続で中止となってしまったものの、52年続いてきたまつりの灯を消さないため、代わりに 「WEB刃物まつり」として代替開催予定。

YouTubeLIVE配信を使った包丁研ぎ講座やふるさと納税情報、各事業所による特売情報など盛りだくさんとのことなので、ご興味のある方はぜひ公式サイトをご覧になっていただきたい。

 【関市刃物まつりHP】http://seki-hamono.jp

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