JR大阪環状線「玉造駅」近くにあるスリランカ料理店「ラッキーランカ」が外国人留学生や子どもたちを対象に炊き出し弁当を提供して話題になっている。腕を振るうのは店主の“ラッキーさん”こと、ラックスマン・フェルナンドさん(58)。コロナ禍で生活に不安を覚える人々のため、8月末までこの活動を続ける。その背景にあったものとは?
店をのぞくと、小柄でフレンドリーなスリランカ人が迎えてくれた。名前はラックスマン・フェルナンドさん。「わたしがラッキーです。わたしのこと、ラッキーさんと呼んでください」と人なつっこい。
そんなラッキーさんは1990年に初来日。大阪・鶴見緑地で開催された「国際花と緑の博覧会(花博)」に出店されたスリランカ料理店のシェフの1人に選ばれたのがきっかけだった。
「スタッフ100人ほどで来日しましたが、私はテレビドラマの”おしん”を観て、日本に憧れていました。山があって川があって、緑が多くて。それが来てみてビックリ。人の多さに驚きました。テレビとは全然違った」
会期中はカレーなどのスリランカ料理が大好評で、オーダーは多い日で約8000食。ゴールデンウイーク期間中は約10000食にも上ったという。その後も、92年セリビア万博(スペイン)、93年テジョン万博(韓国)に参加。やがて首都コロンボでも一流の料理人として認められ、日本行きを決意する。
9人兄弟の5番目。15歳で料理の世界に入った。最初は皿洗いからスタート。母・カルナワティさんから手ほどきを受けた家庭料理が得意でそれが料理人としてのベースとなったという。
「生まれたのはスリランカの田舎でコロンボからバスで1時間以上。幼いころ、パンを買いに行ってもバスが満員で家に帰れない日もあった。兄弟、お腹をすかせているのに…。夢は料理人になって、お母さんの家を建てること。実現した日はうれしくて涙が止まりませんでした」
再来日後は神戸・三ノ宮、大阪・北新地などに店を構え、人気を呼んだが、自分の子どもが大阪・桃谷の高校に進学したことを機に、そこから近い現在の場所に今年1月、新たに店をオープンした。場所は災害や農業、地域文化などの支援に取り組む一般社団法人「まがたま」ビルの1階。田中慶彦代表理事(53)とは旧知の間柄でもあった。
しかし、その直後に新型コロナウイルスの感染が拡大。閑古鳥が鳴く苦難の船出となったが、ボランティア精神にあふれたラッキーさんと田中代表理事は、そんな状況下に炊き出し弁当を提供することを思いつき、実行に移した。「まがたま」も費用面のサポートをしている。
「スリランカにいたときから恵まれない子どもたちを応援してきました。今回も出入国制限で帰国できなかったり、収入が断たれている人がいる。特に困っているのは留学生。アルバイトもなくなり、学校に行けなくなってしまう」
提供日は店の休業日である毎週水曜日の正午~午後2時で期間は8月末まで。チキンカレーや野菜カレーが用意される。ネパールの留学生ススミタ・バストラさん(27)は「とてもありがたいし、とてもおいしいです」とニッコリ。そのお返しに、皿洗いなどの手伝いをするという。
ラッキーさんも「留学生の方には水曜日以外でも提供させていただきます。他のみなさんも、セイロンティーを飲みに遊びに来てください」と歓迎していた。