「元祖カリカリ梅」の会社社長は、元タカラジェンヌ! ジョブチェンジの裏側

あの人~ネクストステージ

桑田 萌 桑田 萌

 観る者を夢の世界へと誘う、宝塚歌劇団。舞台で踊り、歌うタカラジェンヌは眩しい。そんな彼女たちも、時が来れば劇団を引退する。彼女たちのその後の「セカンドキャリア」はどんなものなのか、ご存知だろうか。

 女優や後進の指導など、前職と何らかのつながりがある職業につく人が多い中、「老舗企業の経営者」という異色な道を選んだOGがいる。「カリカリ梅」を製造・販売している赤城フーズ株式会社(本社・群馬県前橋市)の代表取締役社長・遠山昌子さんだ。

 遠山さんは2005年まで5年間、宝塚歌劇団に在籍。「遥海おおら」の芸名で、宙組(そらぐみ)の男役として活躍した。 音楽学校で厳しい上下関係を経験し、修行を重ね、歌劇団に入団。華やかな舞台の裏で、うまく役を演じきれない悔しさ、望んだ役を与えられない悲しさ、役を任され評価される喜び、たくさんの思いを味わった。

「本当に宝塚が大好きで、『陰日なたなく皆を支える組長になりたい』と憧れているほどでした」(遠山さん)

 そんな遠山さんは、梅製品や漬物を製造する赤城フーズの長女として生まれた。「カリカリ梅」を開発したのは、祖父だった。充実した舞台生活を送っていたある日、祖父の体調が悪化。祖父は、当時代表だった父親の後継者がいないことを心配していたという。

「祖父の病状が悪くなっていると知り、会社の行く末が気になりました。後継者がいないことで会社がなくなるのは、カリカリ梅を食べて育った私にとって耐え難いこと。祖父を安心させたい一心で、跡を継ぐことに決めました」

 ファンや仲間に「カリカリ梅屋さんになります!」と告げ、宝塚歌劇団を卒業し、2週間後には入社した。前向きな性格のおかげで、「何も不安はありませんでした」という。

 しかし、宝塚一本で生きてきた遠山さんと、社内の人々の「普通」にギャップがあることに気がつき、現実の厳しさを思い知った。

「何が正しくて何が間違っているのか、分かりませんでした。周囲とのコミュニケーションにも困りました」

 しかし「悩んでいる時間がもったいない」と思い、経営を学ぶために通信制の大学に入学。卒業後も中小企業同友会に所属し、外の世界に出ることでたくさんのことを吸収した。

「私の強みは『努力』しかないんです。受験生時代に人一倍練習して合格できたこと、厳しい上級生から信頼してもらえたこと、入団後に着実に順位を上げられたこと、それらも全て努力のおかげでした。会社を継ぐと決めてからも努力だけが頼り。社内でも徐々に認めてもらえるようになりました」

 入社当初、「過去にすがるのは良くないのでは」と宝塚出身であることを前面に出さずにいた遠山さん。時を経て「もう会社の役に立てているだろう」と感じたことを機に、オリジナル商品「梅ジェンヌ」を開発。宝塚歌劇団の要素を押し出すパッケージデザインで、宝塚ファンからも好評を博している。

「梅ジェンヌは、劇場で販売していただいています。試食販売のときにも『社長が宝塚出身の会社でしょう?』と言っていただくこともあり、赤城フーズを知っていただくきっかけになっています」

 遠山さんは、カリカリ梅を製造・販売することで、「たくさんの人に笑顔になってほしい」と語る。

「カリカリ梅と宝塚の共通点は、多くの人を笑顔にできること。それに気付いてから、仕事に対する心持ちが変わりました。これからも100年、200年と笑顔を継承できるよう、経営者として土台を作っていきたいです」

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