コロナ禍に伴う休校が解除されて授業が再開されている。「夜回り先生」こと教育家の水谷修氏は、失われた3か月間で遅れた教育内容(知識)の埋め合わせを重視するあまり、「学校教育の本当の目的」を見失ってしまうと危惧した。
◇ ◇ ◇
新型コロナウイルス感染拡大による自粛要請が次々と解除され、日常が戻りつつあります。それに伴い、全国の大学を除く小中、高等学校も、完全ではないですが、授業を再開しました。
そのような中、気になることがあります。それは、現場の声を聞いても、各教育委員会や文科省の動向を見ても、3月からの授業が実施できないこの非常事態の中で、教えることのできなかった教育内容、つまり知識を、いかに年度末までの残された日数で教えていくかのみが問題となっていることです。すでに土曜授業や夏期等の休業期間を短縮して、授業を実施していくという方針を出したところもあります。
私は、この動きを見て、教育現場から教育委員会、文科省が、学校教育の本当の目的を見失っていると感じています。
ある話を書きます。私には、かつて福岡県の中学校で体育の教員として活躍し、現在は、国会議員として活動している下野六太さんという友人がいます。彼と初めて会ったとき、私は、彼に聞きました。「下野さん、あなたの体育の専門は何ですか」と。その時の彼の答えにはっとさせられました。
「水谷さん、あなたは、私に、私の専門が、陸上とかサッカーとか野球と聞きたいのでしょう。私の専門は、体育です。体育は、いろいろな競技の技術を教え磨く科目ではありません。子どもたちが、一生を元気で健康に生きていくことができる知識や身体を育てる教科です」
私は、彼に謝罪しました。
私は、この時、学校教育の本当の目的を学び直しました。学校教育は、確かに第一に子どもたちが一生を生きていく上で役に立つ知識や技術を教えることが目的ですが、それとともに、社会の常識や人間関係の形成の仕方、つまり社会性、また、人としての在り方や生き方、つまり人格を形成することを助けることも、重要な目的である。それを彼の一言から再確認しました。
今、このような状況の中で、各学校現場は、この3か月以上授業ができなかったために失われた知識の補填を、教育の中心として走り始めています。しかし、これは危険なことです。人生は長い。失われた知識の補填は、その人生の中でいくらでも取り戻すことができます。しかし、そこで子どもたちが、身につけるはずだった社会性や人格形成については、学校が始まった今、まさにこれから学校で日々学んでいくことです。私は、知識主体、つまり授業中心の学校運営の中で、そのゆとりのなさからそれが失われてしまうことを危惧しています。
修学旅行や文化祭、体育祭など、子どもたちにとって、とても大切な行事が中止されていっています。ぜひ、教育関係者には、再度、学校教育の本当の目的を考えて欲しいと熱望します。