ある日突然、話せなくなったらどうしますか?
埼玉県に住む前川彩さん(仮名、32歳)は5年前、声によるコミュニケーションができなくなりました。原因は不明。これといって思い当たるようなきっかけはなく、突然のことでした。病院に行っても、改善はされませんでした。
そのことで生活は大きく変わりました。人との会話の中で、自分の意思を伝える方法は筆談やジェスチャーに限られてしまうのです。病気になる前までは普通に会話ができていたのに…生活スタイルの突然の変化は前川さんにとって大きなストレスとなりました。
「会話がほぼ筆談となるため、スムーズな会話が出来ません。文字を書いている時は相手を待たせてしまうので、盛り上がっている時など話しに入りにくいなと思うこともあります。文字だと気持ちがうまく伝わらない事もあり、直ぐに反応出来ない為、間違って伝わっていても、否定する事も即座に出来ないです」
やがてそんなストレスが無味乾燥した生活へと引きずり込んでいきました。一人暮らしのため自分の身に何か起こってもいざというときに「電話できない」という恐怖が常につきまといます。
病気になって3年が経ったころでした。ある転機が訪れます。「生活に癒やし」を求めて、犬を飼おうと思ったとき、ある保護猫団体の方から「言葉の代わりに、優しい手や温かな眼差しで、猫さんへ想いはしっかり伝わると思います」と保護されていた子猫を紹介されたのです。
これまで猫を飼った経験はなく、現在一人暮らしであることなどを考慮して、果たして自分にきちんと飼うことができるのだろうかと、悩みました。しかし、「障害があっても助けられる命がある」という思いにたどりつくと、里親として子猫2匹を迎え入れました。そして、その子猫たちのきょうだい猫がシェルターに残っていることを知ると、すぐに3匹目も迎え入れました。
猫たちとの生活は、前川さんの生活を一変させました。仕事に行っているころは、猫たちのために早く自宅に帰らなければと考えるようになりました。病気のせいでふさぎこみがちでしたが、猫たちの愛らしい行動やしぐさのおかげで、毎日が楽しくなりました。新型コロナの影響で自粛生活を続けていますが、猫たちと一緒にいると苦ではないと言います。そんな前川さんにメールで話を聞きました。
――話せるころと生活は変わりましたか?
「大きく変わりました。まず、電話が出来ませんので、何か困った事があった時、問い合わせも出来ません。今まで必要はなかったけれど、考えると警察や救急車など、緊急連絡も出来ないのです。全て周りに依頼するか、自分で出向くか、メールなどで連絡をするなど、時間がかかってしまうのです。話せない事が、ここまで不便な事とは思ってもいませんでした。まだまだ障害者に対しての環境も整っていませんし、手話が出来る人もそう多くはいませんからね…」
――保護猫を迎え入れてから変化は?
「病気になった事で気持ちも落ち込んでいたのですが、にゃんこ達がいる事で明るくなりました。気持ちに余裕も出来た気がします。みんながいないと、もっと暗くなっていたかもしれません」
――どういうふうに「障害があっても助けられる命がある」という結論にたどり着いたのでしょうか
「最初は話せない私に生き物を飼う資格はあるのか?など悩みました。でも周りからのアドバイスなどもあり、飼う事を決断しました。特に心に残っているのは、保護団体の代表さんから言われた『言葉の代わりに、優しい手や温かな眼差しで、猫さんへ想いはしっかり伝わると思います』という言葉です。実際、話せない状況でも、うちの3匹は駄目な事は駄目って訴えると、ちゃんと理解してくれる、とっても良い子に成長しています。声かけをしたりは出来ないけれど、手振りとか顔の表情でみんなの事が大好き!って気持ちは伝わっている気がします」
「障害やハンデがあると、どうしても引け目を感じたり、自分で勝手に出来ないと思うことも増えるけれど、そんな事もないなって今は思います。これも保護団体の代表さんから言われたのですが、『3匹の猫さんの里親になると、シェルターで保護できる猫さんが3匹分増える。それによって、保健所などで命の期限が決められた子を助ける事が出来る。それはつまり、6匹分の命を守った事と同じだ』、と。ハンデがある自分でもそういう事が出来るという事は、結構自信にも繋がると思います」
――障害をもつ人に保護猫を飼うことを勧めたい?
「もちろん命を預かる訳ですから、簡単に考えてはいけないと思います。にゃんこにも性格があるので、イタズラが大好きな子もいると思います。そういう事もよくよく考えて、必ず何があっても最後まで責任を持つと言う覚悟が出来たら、一歩を踏み出してほしいなと思います」