インドネシア、バリ島の犬事情は厳しく、経済的に生きることが困難な人が犬を飼っていることもある。適切な医療も受けられず、マダニに全身を侵されたボビくん。日本人の加納さん夫妻は個人で犬の保護活動をしていたが、受け入れられる数は限界に達していた。
助けを求めて訪れた犬
2018年4月末、近所に住むインドネシア人の家族が放し飼いにしていたボビくんという犬が、突然加納夫妻の自宅の駐車場にやってきた。ボビくんは、とても人懐っこい犬で、会うとすり寄ってきたが、加納家にやってくることはめったになかった。しかし、その日はいつもと様子が違い、元気がなく、その場で力なく横たわってしまったという。加納さんは、ボビくんを抱きかかえ、飼い主のところに行って事情を聴いた。
飼い主は、「もう3日間も食欲がなく、元気もない。しかし、お金がないから病院には連れて行けない」と言った。当時、加納さんは、11匹の犬を保護して飼っていて、なかには通院中の犬もいて、新たに犬を受け入れる余裕は全くなかった。近所の犬にワクチンを打ったり、薬やごはんを与えたり、できる範囲内のことはしていたが、飼うとなると、限界に達していた。しかし、病気は待ってくれない。話をしているうちにボビくんは、大量の鼻血を流した。
保護したいが限界
慌てて病院に駆け込むと、ジステンバー(感染症)かもしれないということで即入院。予断を許さない状態だったが、日に日に元気を取り戻し退院の日も近くなっていた。
飼い主のところにボビを戻すべきか悩んだが、加納さんが受け入れることはできず、成犬なので譲渡先を探すのも難しかった。飼い主自身がところどころ屋根もドアもない家に住んでいて、電気もついていない暮らし向き。
「また放し飼いにされて、毎日ゴミを漁り、マダニだらけの身体で、外で過ごすのだろうか、そう思うと心配は尽きませんでした。ただ、家族全員犬好きで、野犬や野良猫を拾ってきては、できる最大限のことをしていた一家のボビに対する愛情を信じるしかなかったのです。最善の選択でないことは分かっていました」
しかし、一家はボビを家の前にある吹きさらしの廃墟の2階に閉じ込め、解放も散歩もしなかった。ボビは、加納さんたちが廃墟の下を通るたびに、「ここから出して、降りたいよ」と身を乗り出してキャンキャン鳴いて訴えた。興奮のあまり2階から落ちてしまったこともある。
廃墟でマダニだらけになっていた
加納さんは、近所のもめごとが原因で愛犬を毒殺されたという話も頻繁に聞いていたので、トラブルを避けたいと思ったが、我慢ならずに廃墟の扉を開けてもらった。すると、そこには目を疑うような光景が。
ボビは尻尾を振って喜んでくれたが、全身マダニだらけ。マダニが何層にもこびりついていて、立ち耳は垂れそうなほど膨らんでいた。むしり取ると、吸血された血が吹き出て、加納さんの服が血だらけになったという。ハエのたかるバケツには、緑のコケが生えた水が澱んでいて、砂ぼこりの舞う床には、いたるところに下痢が飛び散っていた。床には、いつのものか分からないカピカピになった米が散らばり、掃除を始めると、ゴミに紛れて犬の骨が出てきた。加納さんは、以前ボビの飼い主が飼っていた3匹の子犬のことが頭をよぎったという。
「ちゃんと埋葬されることもなかった子犬たち。その亡骸と共にボビが暮らしていたと思うと涙があふれてきました」
あの家には帰さない
加納さんは、「とにかく今できることをしよう」と思い、きれいに掃除をして、ノミマダニ駆虫薬を与え、持参したごはんと飲み水を置いてきた。加納さんが帰る時、ボビは悲痛な鳴き声をあげたそうだ。
「このままでいいわけがない、どうしたらいいの」と考えていた矢先、加納さんが飼っていた犬が1匹、突然亡くなった。
「家族さえ守り切れない私たち。でも、ボビを見捨てられるのか」。自責の念にさいなまれた加納さんは、気力がなくなり、考える力さえ奪われていった。しかし、それでもごはんと水を届けなくてはと、ボビのところに行った。ボビはごはんを食べなくなっていて、もともとやせていた身体は骨と皮だけになっていた。
「このままではもたない。二度とあの家には帰さないと決めて、ボビを再び入院させました」
大量のマダニに吸血されたことによる貧血とマダニ媒介性疾患の可能性が高く、衰弱していたが、ボビは1週間で退院した。
家族の一員に
加納家にやってきたボビくんは、最初は10匹の犬にびびっていたが、日に日になじんで慣れていく様子は頼もしかったという。元飼い主は、「鎖とつけるとうるさく鳴いて困る」と言っていたが、ボビは、リードをつけて上手に散歩をした。元飼い主は、その姿を見て驚いたという。
当時、加納さんは子犬も保護していたが、子犬でもなかなか里親が見つからなかった。ましてや、成犬で大きな身体のボビの譲渡先を見つけるのは至難の業。あれこれ考えているうちに、ボビはすっかり加納家になじんで家族の一員になっていた。
体重は倍近くになり、お客様が来ると真っ先に懐に飛んでいき、そのポジションを他の子には譲らない。つぶらな瞳に見つめられた人は、思わず「可愛いね、一緒に帰ろうか」と言う。
「我が家で、他の犬たちと楽しく元気に遊んでいるボビの姿を見ていると、ひとりぼっちで廃墟にいた時のことが幻のように思えてきます」