自称「歴史に残る男」として波乱万丈の半生を送ってきた日本ボクシング連盟前会長の山根明さん(80)は2018年の辞任後、タレント、YouTuberとして活動。昨年には新団体「ワールド・ヤマネ・ボクシング・チャンピオンシップ」(WYBC)を立ち上げたが、今度は自慢の喉をいかし、歌手デビューするプランが浮上している。その真相は?
日本ボクシング界を揺るがした2018年夏の大騒動がウソのよう。オリンピックイヤーの2020年を迎え、山根さんは穏やかな日々を送っている。しかし、世間からすっかり忘れ去れたかといえば、そうでもない。「男・山根」はどっこい生きていた。トレードマークのパナマ帽とサングラス。“山根節”も健在だ。
「いい歌詞をつくってもらいましてね。実は歌手デビューする話が持ち上がっとるんです。歌のタイトルを決めてほしいとも」
十八番は吉幾三の「酒よ」だとか。「歌は好きなだけ」と本人は謙遜するが、周りに聞くとなかなかの美声だという。
♪長く険しい坂道も
♪負けて血を吐く日もあるぞ
♪世間がそしればニヤリと笑って
実際の歌詞は「いかにも」というもの。恥ずかしながら、曲名の一案として「俺の拳」と提案してみたが、本人もまずまず乗り気だった。具体的な話は決まっていないというが、話題性なら十分だろう。
思えば18年8月、内部告発による助成金の不正問題に端を発した騒動で辞任、その後除名。疑惑の真偽は明らかにされなければならないが、その過激な発言と濃いキャラクターが先行報道され、誤解も受けたか。
もっとも、少なからず功もあった。海千山千の世界ボクシング連盟を相手に対等に渡り合えたのは山根さんがフリーの立場だった点と、その胆力。教職者の多い日本ボクシング連盟ではとうてい太刀打ちできなかった面もあるだろう。その意味ではメダルを2つ獲得し、日本ボクシング史に残ったロンドン五輪前に「歴史に残る男」が会長に就いていたことは「時代の要請」だったかもしれない。
このあたりを含めた一連の騒動については初の自叙伝「男山根 無冠の帝王半生記」(双葉社)に書かれており、山根さんは「これが真実。あいつらは海賊です。まだ書いてないことがある」と語気を強めて第2弾を準備していることを明かした。
無論、ボクシングへの情熱も失っていない。昨年9月に「フリーのボクサーに光を」との思いで立ち上げた新団体「WYBC」の興行第2弾も6月をメドに計画中だ。
昨年の試合に勝ち、WYBC初代ヘビー級王者となった高橋知哉も「現在は交渉中ですが、対戦相手は格闘ファンならだれでも知っている選手。自分が活躍することによって、若い選手やフリーランスの選手の活躍の場を提供したい。特にヘビー級への道をつくるのが会長との夢」と意気込んだ。
試合会場はエディオンアリーナ大阪第2競技場を予定。同会場は15歳だった山根さんがデビューした思い出の場所(当時は大阪府立体育会館)でもある。歌手デビューも含め「男・山根」は今後も多彩なパンチを放ってくれそうだ。