日本最大規模のハロウィンイベントである川崎市の「カワサキ ハロウィン」(以下・カワハロ)が10月1日から1か月間に渡り、川崎駅周辺の各商業施設や商店街を中心に開催されている。川崎という街が一体となった祭りが最高潮になるのは26~27日のメインイベント。カワハロプロジェクトメンバーにその歴史や見どころ、安全運営の〝秘訣〟を聞いた。
第1回は1997年で、複合商業施設「ラ チッタデッラ」や川崎市などによる「カワサキ ハロウィン プロジェクト」が主催した。パイオニアとなったのが「ラ チッタデッラ」を運営する「チッタ エンタテイメント」の土岐一利・常務取締役プロモーション本部長。土岐氏は当時、連日クラブに通ってパリピ(パーティ・ピープル)のノリを学び、時には許可申請のために警察官の前でテクノを踊るなどの経験を経て、まだ日本にハロウィン文化が浸透していない中、パレードに150人、沿道に500人を集めたという。
そんな黎明期から現在の隆盛に至るまでのターニングポイントはいつ頃か?プロジェクトメンバーに解説していただいた。
「90年代終わりは、まだ仮装という文化が一般化しておらず、オタクの流れを引きずっていた雰囲気でした。カワハロがスタートした97年にディズニーランドがハロウィンイベントをスタートしたのを契機に、仮装してイベントに行く流れが続き、2000年の『カメラ付き携帯の登場』と同年代前半の『第2次コスプレブーム』が到来したことで、ハロウィン人気が一気に沸騰。ターニングポイントがどこか、と問われたら、この2つのトピックが起きた頃だと思います。さらに00年代中盤にツイッターが登場し、以降SNSが続々登場したことで、面白い、目立つ写真を撮りたいというニーズが高まった。日本の秋シーズンにおけるトピックがなかったことも要因となりました」
今回は、26日に70周年のアーケード商店街「銀柳街」で「カワハロランウェイ」が行われ、長さ50㍍のランウェイを楽しむ。27日には参加者約2000人、沿道に約12万人が集まる日本最大級の「ハロウィン・パレード」に世界で活躍するパフォーマー集団「東京ゲゲゲイ」が参加。また、日本五大工場夜景に選ばれている京浜工場地帯の夜景を見ながらクルーズ船に乗ってパーティーを楽しむ「工場夜景パーティクルーズ」が初開催される。
テーマは「新時代への挑戦」。スタッフは「近年、外国人の方々からも注目されるようになり、世界にも発信していきたい。東京五輪・パラリンピックの開催を控えて、ますます日本が世界に注目される中、日本で独自に進化した『ハロウィン文化』を生み出していきたい」と意気込む。
一方で、昨年の渋谷センター街など、街頭で暴徒化する若者らによる事件も社会問題化した。川崎での対策は?
「基本的に川崎が、渋谷と大きく違うのは『主催者がいる』と言う点です。地域の行政、商業施設、商店街などが主催者となって、自分たちの街の魅力を発信する、という目的意識を持って取り組んでいるイベントですし、そこには当然開催するうえでの責任が発生しておりますので、安全に運営ができるよう注意を払っております」
主催者がいることで安全管理が徹底されているというわけだが、それでも「自由さ」を失わないための秘訣は?
「管理統制が行き過ぎて、自由な発想、自由な表現ができなくなる可能性、というのは、常にありますが、主催者のメンバーや、プロジェクトにかかわるたくさんのメンバー、もちろん参加者の皆様からも、立場が違う中で様々な意見を集約して、検討し、改善する、といったPDCA(改善していく手法)を積み重ねていますし、そういったコミュニケーションができていること、それにより意思統一ができていること、という点が、このイベントを成しえる秘訣であると考えています。即効性のあるものではありませんが、長年積み重ねてきたことが、カワハロとしての資産であると感じています」
祭りから一夜明けた28日朝には「カワハロお掃除イベント」を開催。ハロウィン後の「ごみの放置」が問題となる中、「パレード実施前よりもキレイに」を掲げ、地元の有志約100人に加えて一般参加者も募集。カワハロは独自の進化を続けている。