―ある意味ここからが本題ですが、大阪市からの内容の修正指示というのは具体的にどういうものだったのですか?
「細かく10カ所くらい言われました。例えば越冬まつりのシーンは、不特定多数の人の顔が写っているからダメ。覚醒剤関連の描写も、偏見を助長するからアウト。それから『どん底の街』という言葉も差別的だからやめてほしい、などです」
―太田監督は修正を拒否して、助成金も返還しましたね。何故ですか?
「それらの指示に全く納得できなかったからです。そもそも台本を渡してOKが出てから撮影に入ってるのに、いざ編集も終わって完成、という段階でいきなり言われたんです。CO2の人たちはロケの見学に来て『いいねえ』と言ったり、エキストラをやってくれたりしていたのに。お金を出す大阪市が、スポンサーのような意識でいたのでしょう。その構造も問題で、本来なら事業を委託しているCO2がいいと言っているんだから、大阪市は黙って任せておくべきことなんです。そのために外部の有識者を入れて、選考委員会とかも設けていたはずなんで」
「CO2の人と話していても埒が明かないので、大阪市の担当者と話しましたが、『ダメです』の一点張り。『じゃあお金返します』って権利を引き取りました。金額は60万円くらいです。それも500万円の予算の一部ですからね。なのに大阪市が全ての決定権を持つことにも疑問を感じました」
―当時、周囲の反応はいかがでしたか?
「いろんな人が応援してくれましたし、連日のように取材もありました。『署名活動しましょう』と言ってくださる人もいましたけど、わざわざ『反対!』と声を上げるのもバカバカしくて、それはやりませんでした。あまりにレベルが低い話だと思ったので。大阪市を相手にして時間と労力を無駄にするよりは、違うやり方で、やりたいことを実現できる道を探ろうと思ったのです」
「最近は、あいちトリエンナーレの補助金不交付に抗議する署名に協力してほしいという話が来ますけど、全部断ってますね。そういうことを一緒にやろうという気持ちはありません」
―では今回、上映できるようになった経緯は。
「実はお金を返した2014年の時点で権利はこっちにあるので、やろうと思えばやれたんですけど、他の作品の制作で忙しかった。自主配給する気もありませんでしたし。そしたら1年ほど前に『やりたい』という人が声をかけてくれて。音楽専門チャンネルなどを運営するスペースシャワーネットワークの人なんですが、この映画のために実写映画を配給する部署までつくってくれたんです」
―ということは、太田監督自身は上映しようという努力はしてこなかった?
「してないです(笑)。配給を自分でやる大変さはわかっていたので。素人が手を出してはいけない領域です。自主配給して、客が全然入らずに苦しむ事例もごまんと見てきました。やっぱり、配給するならちゃんとした人にお願いしたい。それに、『いつかやってくれる人が現れるだろう』という作品に対する自負も多少はありました」