浅草で採れないのに「浅草のり」の謎…実は滅んだはずだった?

海苔問屋「いせ勘」の店頭には今も「浅草のり」が数多く並んでいる
海苔問屋「いせ勘」の店頭には今も「浅草のり」が数多く並んでいる

 前述した海苔問屋「いせ勘」9代目店主の星野信行さんも「何代にもわたって浅草のりを取り扱っているが、確かに江戸時代には大森辺りで海苔が採れて、浅草寺の門前市で売っていたと聞いている。それも高級海苔として人気を呼んでいたそうだ」と証言。当時の「浅草のり」は江戸の名産として大いに栄えていたのだ。

 ところが、ベトナム戦争が始まった1950年頃に東京湾の環境が激変。工場が立ち並び、大量の廃液が川に流れ込んだ。これによって、油の浸食などの被害を受け、伝統の「浅草のり」は滅んでしまった。しかし「いせ勘」には、途絶えたはずの浅草のりが今も存在している。

 現在の産地について同社長は「千葉県のかずさ海苔という」と明かし「買っていく人もその品質の良さは認めてくれている」と説明する。「一度途絶えた浅草のりを、千葉の良質な海苔で再現した。現在も高級海苔として、すし屋さんを始め、各方面からの引き合いも多い」。産地こそ変わったが、品質や根強い人気は今も昔も変わらないとのこと。また、三重では最近になって絶滅の危機にあった品種「アサクサノリ」を復活させ「伊勢あさくさ海苔」として販売しているという。“浅草のり”は健在である。

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