その猫は、まだ1歳の真っ白なフワフワな毛の雄猫でした。そして、そのまんまるな目は、瞳の色が左右で異なる「オッドアイ」なのでした。『オッドアイの猫は幸運を招く』といわれています。数年前、地域猫だったオラフは、現在の飼い主さんの目の前で交通事故に遭いました。酷い出血と顔面の骨折…。視力はほとんど失ってしまいましたが、こんなに元気になるとは、想像できませんでした。今でもあの日のことは鮮明に覚えています。
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診察がとっくに終了した午後1時過ぎ、血液が付いた小さな猫を抱え、慌てた様子でAさんが診察室に入って来ました。どこの猫かわからないけれど、目の前で車にひかれたので、連れてきたとのこと。状況からすると、人に飼われているようではありませんでした。
左顔面を強打したようで、目から、鼻から、口から鮮血が湧き出ていました。顔面には血管が多いため、怪我をすると激しい出血となるのです。止血剤、鎮痛剤の注射をしましたが、すぐに効く訳もなく、その猫は激しい痛みと事故後のショック状態で錯乱し、あらん限りの力を出して大暴れしました。拭いても拭いても、その白い被毛は赤く染まっていきます。やむなく鎮静剤を注射して…その猫は大人しくなりました。
このような事故の場合、まずは生命の危機を脱することが最優先になります。血管から点滴を入れて鎮静と鎮痛剤を効かせ、その日はそのまま入院となりました。
翌朝、その猫は、左右の瞳孔が開いたままでポツンと後ろ向きに座っていました。全体の状態は改善しているようでしたが、懸念していたことですが…目が見えないようでした。座ってはいたものの、依然として意識は混濁していました。そして、食事の前で呆然と座っていました。自分から食事を取ろうとはしませんし、匂いも嗅ぎません。口を開けて食事を放り込もうとしても、痛がってそれを拒絶しました。
精密検査をすると、左顔面は目の下の頬骨が折れていて、その付け根にあたる上顎がえぐれた感じで骨折していました。下の顎の左右のつなぎ目も激しく折れていました。これでは食べ物をかむことができません。数日間、目の前に食事を置いてみましたが、ずっと首をうなだれて沈鬱状態のまま、食べようとはしません。鼻がきかなくて食べることを忘れたのか?顎が折れていて動かせないから食べられないのか?このまま食べられない状態では生命に危険があります。
事故後6日目に、全身麻酔をかけて顎の骨折にワイヤーを巻いて整復し、同時に喉に穴を開けて胃の手前まで届くチューブを縫いつけました(経咽頭食道チューブといいます)。これで、骨折の痛みが癒えてかめるようになるまで、直接胃に栄養を入れることができるようになりました。
翌日よりそのチューブから流動食を入れ、並行して自分で食事を取れるかどうかのトライが始まりました。次第に、口に食事を入れると飲み込むようになっていき、事故から14日目にようやく自分から口をお皿に付けるようになりました。その後、喉に取り付けたチューブも抜いて、退院することができました。猫の脳神経検査は非常に難しく、Aさんも精密検査を希望されなかったため、オラフの脳内のどこにどのくらいの損傷があったのかはわかりません。視力に関しては残念ながら回復はしませんでした。