男性会社員の田中さん(仮名・45歳)は、妻(42歳)と中学生、小学生の子どもとの4人暮らしです。ある夜の記録的豪雨によって警戒レベル4(避難指示)が発令され、自宅内に水が入り始めたため、家族全員で近くの一時避難所で一夜を過ごしました。翌日、避難指示が解除されたため自宅に戻ると、リビングには泥水が押し寄せた跡が残り、冷蔵庫やテレビ、大切にしていた家具が泥まみれになっていました。田中さんはその光景に言葉を失い、これからどうすればいいのかと足がすくみました。
泥の臭いと無残な部屋を前にすると、とにかく早く片付けて元の生活に戻さなければと焦燥感に駆られます。被災直後、家族の安全は確保できたものの、次にどう行動すればよいのか、元の生活を取り戻せるのかという不安が押し寄せています。突然の浸水被害に直面したとき、なぜこんなことになったのかと戸惑い、どうしたらいいのか分からなくなるものです。
田中さんも、一刻も早く自宅をきれいにしたいと考えていました。しかし、片付けを始める前に被災による被害状況を正確に記録しておくことは、その後の生活再建に向けた公的な支援を受けるための重要なステップになります。
災害による被害からの回復と罹災証明書の役割
被災後の生活再建は、被災した個人の努力や資金力だけで成し遂げられるものではなく、国や自治体の支援制度を活用して回復を図る社会構造になっています。災害対策基本法に基づき、市区町村長は被災状況の調査を行い、罹災証明書を交付する役割を持っています。
罹災証明書とは、災害によって住まいがどの程度の被害を受けたのかを、公的に証明する書類です。この証明書により全壊、大規模半壊、中規模半壊、半壊、一部損壊といった被害の程度が判定されます。判定結果は生活再建のための支援金支給や税金の減免など、さまざまな支援の基礎となります。しかし、片付けを急ぐあまり被害の痕跡を消してしまうと、被害状況を正確に確認しにくくなる場合があります。そのため、手をつける前の状況を証拠として残しておくことが求められます。
片付けの前にすべき被害状況の記録方法
田中さんが片付けのためにスコップを持つ前にすべきことは、スマートフォンやカメラで被害の様子を撮影し、記録に残すことです。泥をかき出し、ごみを捨ててしまうと、後から調査員が訪れた際に、どこまで水が浸かったのかを正確に把握することが難しくなるからです。
具体的な撮影方法として、まずは家の外観を四方向から撮影します。次に浸水した深さが分かる写真が必要です。外壁に残った泥の線にメジャーを当てて撮影したり、引いた画角で全体の様子を記録したりすると、状況が伝わりやすくなります。家の中についても、被害を受けた各部屋の全景を撮影します。泥をかぶった家具や家電製品も、被害状況が分かるように複数枚の写真を撮っておくことが大切です。これらの写真は後日、自治体の調査員が被害認定を行う際の重要な資料となります。
罹災証明書の申請と生活再建支援へのつながり
被害状況の写真を撮り終えたら、居住する市区町村の担当窓口へ罹災証明書の申請を行います。防災担当や税務担当など、自治体によって受付窓口は異なりますので、注意してください。申請には、本人確認書類と撮影した写真などを持参します。近年では、スマートフォンからオンラインで申請できる自治体も増えています。田中さんも撮影した写真をもとに自治体の窓口へ出向き、申請手続きを行いました。
被災者生活再建支援法が適用された災害では、住宅の被害程度などが一定の要件を満たす世帯に、支援金が支給されます。支給の可否を判断する際には、罹災証明書に記載された被害程度などが確認されます。たとえば複数人世帯で住宅が全壊と認定された場合、住宅の被害程度に応じて支給される基礎支援金が100万円となる場合があります。さらに住宅を再建するか補修するかといった方法に応じて、加算支援金が支給される仕組みです。
ただし、これらは被害の程度や世帯人数によって支給額が異なり、中規模半壊に至らない半壊や一部損壊は、原則として国の支援金支給の対象外となります。その場合は、自治体独自の見舞金や支援制度が利用できる場合があります。
また国民健康保険料の減免や、自治体独自の支援制度を利用できる場合もあります。地域や被災の時期によって利用できる制度の詳細が異なるため、手続きに迷った際は市区町村の生活支援窓口や、社会福祉協議会に所属する相談員などに確認することが大切です。
挫けそうな心を奮い立たせ
田中さんは焦る気持ちを抑えて被害状況を写真に収め、地方自治体の窓口で罹災証明書の手続きを進めました。その後の現地調査を経て被害が認定され、支援制度を利用する見通しが立ちました。泥まみれのリビングを前に感じていた絶望感の中に、少しずつ生活を立て直していくための希望を見出しています。
災害という突然の困難は、一見すると乗り越えがたい大きな壁のように感じられます。しかし適切な記録を残し、公的な制度を正しく活用することで、元の生活を取り戻すための第一歩へと変えていくことができることを覚えておくとよいでしょう。
【監修】勝水健吾(かつみず・けんご)社会福祉士、産業カウンセラー、理学療法士 身体障がい者(HIV感染症)、精神障がい者(双極症Ⅱ型)、セクシャルマイノリティ(ゲイ)の当事者。現在はオンラインカウンセリングサービスを提供する「勇者の部屋」代表。