「母が小学生のときに作った『戦争体験談』を、実家から借りてきました」
Xに投稿された冊子が、多くの人の目に留まりました。 投稿者は、俳優として活動する旭佑華さん(@yuu_uv76)です。
冊子の題名は「親子で集めた戦争体験談」。表紙には「昭和63年」「牟呂小 6年」と記されています。 愛知県豊橋市にある牟呂小学校の6年生たちが親子で集めたこの冊子には、実際に戦争を経験した人たちの証言と、それを聞いた子どもたちの率直な感想が収められていました。
「母が書いた部分が当時、新聞に掲載されたことがあったので、記念に取っておいたそうです。また、もう会えない人たちの話を、こうして形に残しておきたかったんだと思います」
長い年月を経てもきれいに保管されていた冊子は、旭さんにとって、家族の記憶だけでなく地域の歴史にも向き合うきっかけになりました。
小学生のころから身近にあった戦争の記憶
旭さんの出身小学校には、疎開していた小学6年生が卒業式のため、東京へ戻ってきた日に東京大空襲に遭い、多くの児童が亡くなったという歴史がありました。
そのため旭さんは小学生のころから、毎年3月10日に、曽祖母をはじめとする身内だけでなく、地域の戦争体験者から話を聞く機会があったそうです。
幼いころから日本の歴史に興味を持ち、大学まで日本史を学んできた旭さん。小学生のころから戦争体験を聞いてきたことも、歴史を遠い過去ではなく、自分の身近にあるものとして考えるきっかけになっていたといいます。
小学生が受け止めた戦争体験
冊子には、豊橋での空襲についての記載が多くあったといいます。
旭さんが特に心に残ったのは、戦争体験を学んだ小学生たちのまっすぐな感想でした。
「豊橋にこんなに大きな爆弾が落ちたなんて、知らなかった。最初はこの学習が面倒と思ったけど、やって本当によかった」
油をまかれ、焼夷弾が落とされ、街が火の海になったという証言に対しては、「とても怖かった。今の平和な日本に生まれて、幸せなのだと思った。こんな戦争は、二度としてはいけない」という感想も残されていました。
空襲だけでなく、当時の食事や防空壕の作り方、マレー半島や広州へ出征した人たちの話も記されていたそうです。
なかでも印象に残ったのは「苦しい思いをして話したくないだろうに、話してくれてすごいと思った」という言葉。子どもだからこそ、目の前の体験談をまっすぐに受け止めている。その素直さが、旭さんの胸に深く響いたといいます。
トラック島での空襲、そして帰還
冊子の中で、旭さんの母が書いていたのが、旭さんの曽祖母の兄にあたる人物の戦争体験でした。
その人物は海軍としてトラック島(現ミクロネシア連邦チューク諸島)へ出征し、現地で空襲に遭ったといいます。三日三晩泳ぎ続け、次に目を覚ましたときには腕を失っていました。
旭さんは曽祖母が存命のころに少し話を聞いたことがありましたが、冊子に残された記録はそれよりもはるかに鮮明で、大きな衝撃を受けたと振り返ります。
その後、東京大空襲にも遭いましたが生き残り、旭さんの母にもこのトラック島での体験を伝えてくれたそうです。
「ただの過去」ではなく、身近なできごととして
旭さんがこの冊子をSNSで紹介した背景には、戦争を「ただの過去」ではなく、今につながるできごととして感じてほしいという思いがありました。
戦争を体験した人から直接話を聞ける機会は、年々少なくなっています。家族の中で受け継がれてきたこの冊子は、旭さんにとって、戦争を身近に感じ、平和について考え続けるための手がかりでもあります。
特攻隊員を描いた舞台『オサエロ』への出演
旭さんは、特攻隊員を描いた舞台『オサエロ』に沢口夏子役で出演しました。
幼いころから戦争の記憶に触れ、大学まで日本史を学んできた旭さんにとって、歴史を伝える作品への出演は、自身の歩みとも重なるものでした。
出演を決めた理由の一つには、プロデューサーが持つ「歴史を伝えていかなければならない」という思いへの共感もあったといいます。
受け継がれてきた記録と、舞台で伝える物語。その両方を通して、旭さんは戦争の記憶と向き合っています。
舞台『オサエロ』の公演はすでに終了していますが、オンライン配信のチケットは29日まで購入できます。
【旭佑華さん関連情報】
▽Xアカウント
https://x.com/yuu_uv76
▽舞台『オサエロ』公式ホームページ
https://airstudio-k.my.canva.site/260520morita-osaero