演出家、テレビプロデューサーとして昭和、平成期に数多くの人気ドラマを手がけた久世光彦さん(2006年没)。
久世作品と言うと『寺内貫太郎一家』、『時間ですよ』などコミカルな人情ものを連想する人が多いかもしれないが、その作風は実に幅広く、特に全盛期の沢田研二さんをキャスティングしたいくつかの作品は、その耽美ないしはデカダンスな世界観でカルトな評価を得ている。
昨年、SNS上に投稿され話題になったのは、そんな「久世×沢田」作品の制作背景が垣間見える貴重な資料だ。
「沢田研二主演ドラマ『悪魔のようなあいつ』プロデューサー久世光彦さんからの手紙。1979年ごろ。当時私は高校生で、このドラマが好きすぎて、久世さんに手紙を送ったらいただいた返信なの」
と、久世さんとの私信を公表したのはファッション雑誌『ケラ!』『ゴシック&ロリータバイブル』の創刊編集長として知られる鈴木真理子さん。
「『悪魔の…』は僕の今までの作品の中でいちばん好きなもので、同じように思って下さる人たちが4年もたってこのようなパンフレットを作ってくれていること、とても嬉しいと思うのです」
「ぼくはやっぱり自分で撮った第一回が一番好きで、良(※沢田)と野々村(※藤竜也)がシャツを脱ぎながら電話をするシーンはわれながらしびれるのです」
と、3億円事件をモチーフにしたドラマ『悪魔のようなあいつ』(1975年)が放送終了後も評価されていることを喜ぶものや
「十四日から『源氏物語』のリハーサルに入ります。光源氏は『見てしまった人』なのです。若くして見てしまった人なのです。この世の終わりを。仏教ということをぼくと沢田は今真剣に考えています」
と、沢田さんが光源氏を好演した『源氏物語』(1980年)撮影直前の心持ちを明かしたものなど、クリエイターとしての久世さんの思いがありありと伝わってくる手紙たち。
このやり取りについて、鈴木さんにお話を聞いた。
――久世さんとお手紙のやり取りをした経緯は?
鈴木:まず私がジュリーのファンになったのは1972年、小学校5年生のとき。給食の時間に放送されていた『ひるのプレゼント』(NHK)という番組で、歌う姿を見たことがきっかけでした。
以来、ジュリー漬けの少女時代を過ごすのですが、同時に漫画を読んだり描いたりするのも大好きだったので、高校生になると地元・名古屋で開催された第1回コミック・カーニバルという同人誌即売会に友達に誘われて行って、自分たちも漫画の同人誌を作りました。翌1979年には耽美系雑誌『JUNE』(サン出版※創刊当初は『Comic Jun』)のサークル募集欄でメンバーを募って『サークル・ジュリアン』という私設ジュリーファンクラブを立ち上げ、同人誌を作ってみたのです。
それはドラマ『悪魔のようなあいつ』を特集したものだったので、プロデューサー・演出を兼任された久世さんにもぜひ読んでいただきたいと思い、TBSにお送りしたんです。
――当時、演出家として大活躍されていた久世さんから返信があったというのがすごいですね。
鈴木:お返事をいただけるという不思議な確信はあったのですが(笑)。実際にお手紙が返ってきたときは、うれしかったです。
初めてお便りをしたときに、『沢田研二ロックリサイタル1978』の中の『ロック・ミュージカル天草四郎』パートの写真も同封していたんです。磔刑にされた天草四郎(ジュリー)に花吹雪が舞う、それは美しい写真でした。もともとは女性週刊誌に掲載されていたグラビアですが、編集部にお願いの手紙を送り、おすそ分けしてもらったもの。久世さんはこの写真がたいそう気に入って、後々までずっと机の周りに飾っておいてくれることになるんです。
――クリエイターらしい熱のある文面ですが、お手紙を読まれたご感想は?
鈴木:「光源氏は『見てしまった人』なのです」というのが、私には全然わからなくて(笑)。でも今にして思えば、観る者のほとんどが気付かないかもしれない久世さん流の研ぎ澄まされた感覚が、この一言に詰まっていたのかもしれませんね。
――就職後、久世さんと交流されるようになったんですね。
鈴木:1982年に東京の短大を卒業後、創刊準備中だった『ザ・テレビジョン』編集部に入りました。長年の夢だった雑誌編集者の道に進めたものの、何もできない子だったので、お茶くみばかりの日々。そんなある日、編集部に出入りしていたやり手の女性ライターさんから「鈴木さんってジュリーのファンなんだよね?久世さんの取材があるけど一緒に行く?」と誘われたんです。そこで「昔、同人誌と写真を送った者です」と名乗ると「あのときの!あなたからもらった写真は今でも飾ってるよ」と思い出してくれて、それ以来たまに芸術や文学のお話をしたり、おつかいを頼まれたりするようになったんです。
――久世さんのお仕事にも協力されたんですね。
鈴木:1985年のドラマ『危険なふたり』で美術用にジュリーのポスターを貸してほしいと頼まれ、実家に置いてあったものをたくさんお貸ししたこともありました。でも、いざ放送を見たらポスターに「〇月〇日 沢田研二コンサート」とか書き込まれていてびっくり。しかも、ポスターは返ってきませんでした。今アーカイブを見ると、私はポスターを提供したことになっています。今でもよく言われる"テレビマンあるある"ですね(笑)。
――直接交流する久世さんは、どんなお人柄でしたか?
鈴木:ポスターの件はどうかと思いましたが、けっしてチャラチャラした部分や裏表はない人。仕事熱心で、初めてお手紙を読んだときと同じ印象のままでした。
あるとき、芸術のお話をしていると「そろそろ自分が何か作る立場にならないとね」と発破をかけてくれたんです。ですが、当時の私はそれに応えることもできないまま、そのまま交流はフェイドアウトしました。雑誌の編集長になり「ゴス・ロリ」ワードが日本、そして世界に広まったときに、連絡すればよかったかな(笑)。久世さんって、当時はゴスと呼ばれる範ちゅうにはなかったけれど、ゴス趣味の部分が多分にあったと思うんですよね(笑)。ゴスはデカダンスと仲良しだから。
――久世光彦という人物を振り返って。
鈴木:テレビのプロデューサー、演出家としては特筆すべき、大ヒットとなる仕事をいくつもされていたことはもちろんのこと。
でも『悪魔のようなあいつ』について語らせていただくと、それまでの仕事が大衆向けだったのに、『悪魔のようなあいつ』では久世さんが大大大好きな沢田研二という俳優をついに得て、今までできなかった、久世さんのダークな趣味部分を解放してしまい、素晴らしい内容なんだけど、大衆を引きつけることができなかったんですよね。結果、唯一無二の作品として仕上がったのですが。そこがまた私のような人間を惹きつけていると思うんですよ。やっぱり特別な才能の方ですね。
また、エッセイストや小説家としても、特別な感性を持って美しく確かな文章で執筆されていて、素晴らしいな、と思います。
そして個人的には仕事をする上での人情の大切さを教えていただきました。これはその後、私が編集者として仕事をしていく上で、非常に役立ったと思っています。
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類まれな才能で、時代を象徴する数々の作品を手がけた久世さん。その多忙な創作活動の合間に、このようなやり取りがあったというのは、なんとも楽しく興味深いことではないか。
なお、鈴木さんのnote記事『皆それぞれに「ジュエル・ジュリー」なファン人生♡』では、久世さんから寄せられた『源氏物語』撮影中の写真など貴重な記録が紹介されている。ご興味のある方は、ぜひそちらもご覧いただきたい。
鈴木真理子(すずき・まりこ)さんプロフィール
愛知県出身、編集者
青山学院女子短期大学教養学科卒業後、雑誌・書籍出版の道へ。ファッション雑誌『ケラ!』『Gothic&Lolita Bible』『KERAマニアックス』創刊編集長。原宿系、ロリータ、ゴシックなどのファッション&カルチャー系をホームとし、フリーエディターになった後、神奈川県立近代美術館、森美術館(東京)他、美術館の公式図録編集も。2024年7月初の単著『ゴシック&ロリータ語辞典』を上梓。
▽Xアカウント
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▽"ジュリ活"専用裏アカウント
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▽♡皆それぞれに「ジュエル・ジュリー」なファン人生♡ -part1-1970年代編-
https://note.com/marikosuzuki/n/ndca139b89ace
▽♡皆それぞれに「ジュエル・ジュリー」なファン人生♡ -part2-1980年代から現在まで-
https://note.com/marikosuzuki/n/n74ff64588941
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協力:久世朋子さん、株式会社平凡社