家族のために夕飯を作っても、「今日はそれじゃない」「それ嫌い」と言われる。だからといって「好きなものを食べて」と任せれば、ろくなものを食べない。
毎日の食卓でそんな理不尽を味わい続け、心をすり減らしている母親は少なくありません。
食事は本来、家族の健康を支える大切なものです。栄養を考え、家族の予定に合わせ、時間をやりくりして準備する。けれど、その苦労はあまりにも見えにくく、食べる側の何気ないひと言で簡単に踏みにじられてしまいます。
大阪府在住のSさん(40代)も、そんな報われない食卓に疲れ果てた一人です。
仕事で疲れて帰っても、待っているのは感謝ではなく文句
Sさんは中学生の息子と高校生の娘を育てています。下の子の中学入学を機にパートを始め、慣れない仕事と通勤で毎日へとへとになりながら帰宅しています。
本当は帰宅後少し座って休みたい。それでも、部活帰りの息子と塾帰りの娘のために、急いで夕飯の支度に取りかかります。
疲れていても、育ち盛りの子どもたちにはちゃんとした食事を食べさせたい。そんな思いで台所に立ち続けてきました。
ところが、やっとの思いで並べた夕飯に返ってくるのは、「えー、今日、鯖?」「かぼちゃの煮物かぁ」といった不満ばかり。
ひどい日は、一口も食べずに箸を置かれることもあります。
仕事を終え、買い物をし、時間をかけて作った食事を目の前で拒まれる。そのたびにSさんは、「私は何のためにこんなに頑張っているんだろう」と虚しくなるといいます。
母親にとってつらいのは、料理が残ることではありません。自分の頑張りごと、なかったことにされることです。
手を抜けば、今度は母親失格のような気持ちになる
毎日文句を言われることに疲れたSさんは、ある日「それなら好きなものを食べて」と子どもたちに任せてみました。
すると、高校生の娘は「太るから食べない」と言い、中学生の息子は「友達と食べてきた」と言いながらカップラーメンを食べ始めたそうです。
きちんと作れば文句を言われる。任せればまともなものを食べない。どちらを選んでも、結局気になるのは母親です。
栄養は足りているのか。こんな食生活でいいのか。放っておいていいのか。子どもたちは困っていなくても、母親だけが罪悪感を抱えることになります。
Sさんは、「何をしても私が悪い気がしてしまう」と話します。頑張っても責められる。手を抜いても責められる。
その繰り返しのなかで、母親は少しずつ追い詰められていきます。
「食べないなら放っておけ」と言うのは簡単だけれど
夫に相談すると、「出されたものを食べないなら放っておけばいい」と言われました。
確かに、それは正論かもしれません。食べないなら食べないでいい、甘やかすからわがままになる――理屈としては理解できます。
けれど、実際に放っておける母親は多くありません。
何も食べずに寝て大丈夫だろうか。栄養が足りなくならないだろうか。体調を崩さないだろうか。そう考えてしまうのは、子どもの健康を気にかけているからです。
「放っておけばいい」と言うのは簡単ですが、放っておけない責任を抱えているのは母親です。
父親は正論を言えても、子どもが食べない現実に不安を抱え続けるのは母親なのです。
だからこそ、厳しくもできず、甘くもできず、母親だけが板挟みになるのです。
夕飯づくりは、終わらない評価の連続
掃除や洗濯は、やれば終わります。けれど夕飯づくりは違います。
作っただけでは終わらず、食べてもらえて初めて報われる。食べてもらえなければ、その日の努力が丸ごと否定されたように感じるのです。
「せっかく作ったのに」と思うのは当然です。それは恩着せがましさではなく、家族のために頑張ったことを少しでも認めてほしいという切実な思いだからです。
それなのに、「嫌い」「いらない」の一言で片づけられる。その積み重ねが、母親の心を削っていきます。
しかも、母親が「もう作りたくない」と感じると、今度は手抜きと言われる。
頑張っても当たり前。疲れても当然。報われなくても文句は言えない。そんな空気のなかで、母親だけが黙って傷ついています。
母親だから当然、という空気が母親を追い詰める
Sさんは、「夕飯の時間が近づくと憂鬱になる」と話します。
家族のために作っているはずの食事が、いつの間にか苦痛になってしまったのです。本来、食卓は家族が安心する場所のはずです。
けれど現実には、母親だけが気を遣い、我慢し、責任を負っている家庭も少なくありません。
子どもに振り回され、夫に正論を言われ、それでも最後は母親が何とかする。そんな構図のなかで、母親の疲れやストレスは簡単に見過ごされていきます。
夕飯づくりの悩みは、献立の問題ではありません。母親がやって当たり前、という空気の問題です。
誰かのために作る食事なのに、その誰かから傷つけられる。
その理不尽に耐え続けている母親は、決して少なくないはずです。
母親の負担はこれからも見えないままになってしまいます。