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「欧米」という概念の終焉 「自由世界のリーダー」としての威信は失墜 乖離する大西洋の両岸と国際秩序の変容

和田 大樹 和田 大樹

かつて「欧米」という言葉は、単なる地理的な区分を超え、自由民主主義、市場経済、そして法の支配を共有する強固な価値観の共同体を指す同義語であった。第二次世界大戦後の冷戦期から、この概念は大西洋を挟む米国と欧州諸国が一体となって東側陣営に対抗する、いわば「西側諸国」の代名詞として機能してきたのである。

しかし、今日の世界情勢を俯瞰すれば、この言葉が内包していた一体感はもはや虚構に近い。特に第2次トランプ政権の発足以降、米国が歩む孤立主義的、あるいは自国第一主義的な路線は、欧州との間に修復困難な亀裂を生じさせており、便宜的に「欧米」という一括りの呼称を用いることの妥当性は、根本から揺らいでいると言わざるを得ない。

「自由世界のリーダー」としての威信は失墜

トランプ政権が展開する外交手法は、従来の国際協調とは一線を画す「ディール(取引)外交」に集約される。トランプ関税に象徴される保護主義的な通商政策や、ベネズエラ、イランなどに対する一方的な軍事・外交圧力は、米国の同盟国をも翻弄し、国際社会における米国の予測可能性を著しく低下させた。

米国が自国の短期的利益を最優先し、既存の多国間枠組みを軽視する姿勢を鮮明にするなか、かつての「自由世界のリーダー」としての威信は失墜し、むしろ米国自体が予測不能な地政学リスクの源泉として認識されるに至っている。こうした米国の変容を、国際社会はもはや信頼の眼差しではなく、警戒と冷ややかさを孕んだ視線で注視している。米国が国際秩序の番人から攪乱者のようなアクターへと変貌を遂げたことは、戦後一貫して米国を軸に構築されてきた国際システムそのものの崩壊を予感させるものである。

大西洋の両岸には信頼関係が存在しない

こうした米国の変質に対して、最も深刻な不満と危機感を抱いているのは、他ならぬ欧州諸国である。

トランプ政権は、欧州諸国の国防費負担の少なさを執拗に糾弾し、北大西洋条約機構(NATO)からの脱退すら示唆してきた。欧州にとって、安全保障の根幹を支えてきたはずの米国が、共通の防衛義務を「コスト」の観点のみで測り、撤退をちらつかせる現状は、まさに存亡の機に等しい。

また、気候変動問題への取り組みやイラン核合意といった、欧州が外交の成果として重視してきた多国間合意を米国が次々と破棄したことも、両者の間の価値観の乖離を決定的なものにした。マクロン仏大統領がかつて指摘したNATOの「脳死」状態という言葉は、トランプ政権下でより現実味を帯び、欧州は「戦略的自立」を模索せざるを得ない状況に追い込まれている。もはや大西洋の両岸には、共通の脅威認識も、互いを不可分なパートナーとみなす信頼関係も、かつてのような形では存在しない。

「欧米」というくくりで外交を語るべきでない

このような情勢下において、我々が長年慣れ親しんできた「欧米」という言葉を使い続けることは、現実の国際構造を著しく見誤るリスクをはらんでいないだろうか。

この言葉は、欧州と米国が常に一枚岩であるという固定観念を植え付け、両者の間に生じている決定的な利益の相違や価値観の解離を覆い隠してしまうからである。現代における欧州は、多国間主義と環境保護、国際法を重んじる「ルールに基づく秩序」の守護者たらんとし、一方で米国は主権の絶対化と二国間交渉を重視する「力によるディール」の信奉者へと回帰している。この両者は、目指すべき世界のあり方そのものが根本から異なっており、もはや一つの陣営として総称することは分析的な妥当性を欠いているとも捉えられる。日本にとっても、この語彙の再検討は喫緊の課題である。

明治以来、日本は「欧米」を一つの先進モデルとして仰ぎ、その背中を追うことで近代化を成し遂げてきた。しかし、米国が多国間主義から離脱し、欧州と対立する現在において、日本が「欧米」というくくりで外交を語ることは、自らの立ち位置を曖昧にすることに他ならない。

米国との同盟関係を維持しつつ、欧州との価値観の共有をいかに図るかという高度な政治判断が求められる局面で、実態のない「欧米」という言葉に依存することは、戦略的な思考停止を招きかねない。今日の世界に照らせば、「欧米」という概念は今日の国際情勢を反映していない。

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