「人は平然と生きていても、それぞれの事情がある」…そんな一文が、多くの共感を呼んだ。
Xに投稿されたのは、えりぞさんの体験談だ。690gという低体重で生まれた次女のことを、仕事に影響が出るため職場で説明したところ、同僚たちから次々と打ち明け話が返ってきたという。
「実はうちの子、心臓が…」
「5歳だけど、まだ話せなくて…」
それまで35年生き、5年親をやってきても、聞いたことのなかった“事情”だった。
なぜ職場で話そうと思ったのか
えりぞさんが事情を共有した理由は切実だった。次女の出産で妻も入院し、家にいる長女の世話、医師との相談などで時間を割かざるを得ず、これまで通りの勤務が難しくなったからだ。
「自分の穴を埋めてもらうことになる職場のメンバーには、説明をすべきだと思いました」
迷いはあったが、責任として話した…その行動が、思いがけない反応を引き寄せる。
打ち明けられた“見えない事情”
返ってきたのは、同情や距離ではなく、思いやりだった。
「まず驚きました。飲み会などでプライベートな話をしていた人からも、初めて聞く内容ばかりで。人は事情を抱えながらも、一見平然と生きていることに、考えが至っていなかったんです」
同僚たちは、えりぞさんを勇気づけるように「こういうときはお互い様だよ」「負い目に感じなくていい」と伝えてくれたという。
なぜ、これまで語られなかったのか
「大っぴらに身内の深刻な話をしたくない、という気持ちがあったのだと思います」
えりぞさんは、先天性の疾患などを語ることで偏見を持たれる不安もあったのでは、と振り返る。“語られなかった”のではなく、“語れなかった”事情。多くの人が、そうして日常を続けている。
人が「立体的」に見えるようになった
この出来事以降、人との関わり方に変化が生まれた。
「距離感というより、他人がより立体的に見えるようになりました。仲間として、何かあれば頼れる関係なんだという安心感があって。自分も、誰かに何かあれば力を貸したいと思うようになりました」
「不幸の共有」ではなく、「荷物を一瞬下ろす」
リプライの中には、こんな言葉もあった。
「それは“不幸の共有”じゃなくて、“重い荷物を一瞬下ろせたつながり”だと思う」
この表現に、えりぞさんはうなずく。
「抱えているものを人と共有することで、互いの背負った重さを共に背負え、軽くなる。そんな感覚に共感しました」
「普通の人生」は幻かもしれない
最後に、えりぞさんは同じように事情を抱えながら日々を過ごす人へ、こう語る。
「順風満帆で“普通の人生”を送っている人は、実は幻かもしれません。みな弱みや事情を抱えていて、ふと弱音を吐いたとき、共感し支えてくれる人は案外多い。そう信じてみてもいいと思います」
そしてもう一つ、大切なことも添えた。
「行政も、ちゃんと頼れます。ひとりで抱えない方が、絶対にいい」
誰もが何かを抱えながら生きている。その事実に気づいたとき、人とのつながりは、少しだけやさしく、強くなるのかもしれない。