子役時代から活躍し、近年はNHKの大河ドラマ「どうする家康」や連続テレビ小説「ばけばけ」などにも出演している板垣李光人。名前の「李光人」は本名で「りひと」と読み、ドイツ語で「光」を意味する「Licht」に由来するという。
では名字の「板垣」は何に由来するのだろうか。
「板垣」とは本来、板を並べて作った垣や板塀を指す言葉である。従って、こうした家に住んでいた人が名乗ったものなのだが、名字としては地名に因むものが多い。
そのルーツとなった地名は甲斐国山梨郡板垣、現在の山梨県甲府市善光寺付近である。清和源氏武田氏の一族がこの地に住んで「板垣」を名字としたのが祖で、板垣家はこの末裔と伝える家が多い。
源平合戦の際、板垣兼信は源範頼に従って功をあげ、駿河国志駄郡大津(現在の静岡県島田市大津)の地頭となった。戦国時代に武田氏の重臣だった板垣氏はその子孫という。なかでも武田信玄の筆頭家臣だった板垣信方が著名。
「板垣」という名字で最も有名なのは、旧土佐藩士で明治に活躍した政治家、板垣退助だろう。岐阜で暴漢に襲われた際に「板垣死すとも自由は死せず」と言ったといい、高知城や岐阜公園には銅像が建てられている。また年配の方には百円札に描かれていた立派な髭の肖像でもおなじみだ。
板垣退助もこの板垣信方の子孫と伝えている。
信方の長男信憲は父の死後板垣家を継いだものの信玄からは疎まれ、追放されたとも殺されたともいう。信憲の子正信はのちに山内一豊に仕え、江戸時代には名字を「乾」と改めて土佐藩士となった。板垣退助はこの子孫にあたり、明治元年に「乾」から「板垣」に戻している。
この他、群馬県伊勢崎市の旧家の板垣家も板垣信方の末裔と伝えるなど、各地の板垣家は武田氏家臣の末裔という家が多い。
現在、「板垣」は新潟県北部から秋田県南部にかけて広く分布し、特に山形県村山市周辺に集中している。また島根県の出雲地方にも多く、旧佐田町(現在の出雲市)では町の最多名字だった。
板垣李光人は山梨県の出身。甲斐板垣氏と関係がありそうだ。