玄関の鍵がガチャリと回る金属音が響いた瞬間、専業主婦のAさんの鼓動は速くなり、無意識に呼吸を止めてしまいます。靴を置く音の荒さだけで夫の不機嫌さを察知した彼女は、自分の読みかけの本を慌てて隠し、テレビをニュース番組に切り替えました。食卓には夫の好物のハンバーグを並べましたが、彼女の神経は夫の箸の動きと眉間の皺だけに注がれます。
夫がネクタイを緩めながら深く息を吐き出した瞬間、Aさんの頭の中は「味付けが濃かったか」「掃除が行き届いていないのか」という自責の念で埋め尽くされました。暴力も暴言もないのに、ただ夫の機嫌1つでAさんの手の震えは止まらず、味もしない夕食を喉に流し込むことしかできません。
Aさんのように夫の感情に振り回されることがないように、自分らしく生きるためにはどうすればよいのでしょうか。夫婦関係修復カウンセリング専門行政書士の木下雅子さんに話を聞きました。
課題の分離がポイント
ーなぜ、妻は夫の機嫌にこれほどまでに影響されてしまうのでしょうか?
Aさんの場合、経済的・精神的な生活の基盤がすべて夫にあるため、無意識のうちに「夫に嫌われたら生きていけない」という強い不安を抱えているからだと考えられます。
夫側もそれを敏感に察知し、「少しくらい不機嫌を撒き散らしても妻は離れていかないだろう」と侮り、一種の支配関係のような状態に陥っています。Aさんがご自身の性格のせいだと責める必要はありません。これは環境と関係性が生んだ「依存」の構造によるものだと言えるでしょう。
ー「夫の感情」と「自分の感情」を切り離すには、どう考えればよいですか?
「課題の分離」という考え方を持ちましょう。夫が不機嫌なのは、会社で何かあったのかもしれず、それは「夫自身の課題」です。Aさんが機嫌を取る必要も、責任を感じる必要もありません。
例えば、夫婦で同じ映画を観ても、夫と妻で感想が全く異なることがあるように、同じ空間にいても抱く感情は別々で当たり前です。「夫は今イライラしたい気分なんだな、でも私は穏やかに過ごしていいんだ」と、心の中で明確に線引きをし、夫と自分は全く別の人間であると再確認してください。
ー夫との間に適切な「境界線」を引くためのテクニックはありますか?
まずは行動で「自信のある妻」を演じてみましょう。夫のことばかり考えてしまうのは、皮肉にも「考える時間」があるからです。短時間のパートや内職を始めるなどして、物理的に夫以外の世界を持つことが特効薬になります。
また、タダでできる「女優作戦」もおすすめです。鏡の前で意識して笑顔を作ったり、背筋を伸ばして凛と歩いてみたりしてください。「堂々とした私」になりきって振る舞っていると、不思議と内面も引っ張られて強くなっていきます。それが夫の不機嫌という「無言の暴力」を跳ね返すバリアになってくれるはずです。
◆木下雅子(きのした・まさこ)行政書士、心理カウンセラー
大阪府高槻市を拠点に「夫婦関係修復カウンセリング」を主業務として活動。「法」と「心」の両面から、お客様を支えている。