12月26日、連続テレビ小説『ばけばけ』(NHK総合ほか)の年内最後となる第65回が放送された。互いの気持ちを確かめ合ったトキ(髙石あかり)とヘブン(トミー・バストウ)は、週タイトル「サンポ、シマショウカ。」のとおり、夕暮れの宍道湖へと散歩に出かけ、初めて手をつないだ。
13週では、ふたりにとっての重要人物が松江に来ていた。トキの元夫・銀二郎(寛一郎)が東京で起業して成功し、松野家を出奔して以来4年ぶりにトキの前に姿を現した。銀二郎はもう一度トキとやり直したいと願い出るが、トキの気持ちはすでにヘブンに向いていると知り、彼女の幸せを願って身を引いたのだった。
時を同じくして、ヘブンに思いを寄せる新聞社の同僚・イライザ(シャーロット・ケイト・フォックス)も松江を来訪していた。イライザも銀二郎と同じく、ヘブンとトキの心が深いところで結ばれていることを悟り、アメリカへと帰っていった。
結果としてトキとヘブンの恋路の後押しをするかたちにはなったものの、視聴者は銀二郎とイライザの今後の幸せを願わずにいられない。それは、このドラマがどの登場人物も大事に描いてきたからに他ならない。
朝ドラ随一の「台詞に頼らない作劇」
『ばけばけ』は台詞に頼らず、表情や仕草で人物の心の動きを描写するシーンが多い。特にトキとヘブンの心が通じ合い、結ばれる13週では、髙石あかりとトミー・バストウの「言葉で表さない」芝居が際立っていた。
さらに、銀二郎とイライザを演じる寛一郎とシャーロット・ケイト・フォックスの演技も白眉だった。この両者がトキとヘブンの深い絆を目の当たりにし、身を引くしかないと思わされていく過程も、『ばけばけ』の真骨頂である「いちばん大事なことは直接的な言葉にしない」という作劇哲学にしたがって丁寧に作られていた。
寛一郎とシャーロットだからこそ、あのシーンができた
寛一郎とシャーロットについてチーフ演出の村橋直樹さんは、「第13週の、銀二郎とイライザの素晴らしいシーンの数々は、本当に寛一郎さんとシャーロットさんのお芝居の力によるものだと思います」と絶賛する。
花田旅館の窓辺からトキを見ていた銀二郎が、ヘブンと別れてからトキが泣いたことで彼女の本心を悟ってしまう。それを見ていたイライザが「あなたと私は一緒ね…」と言い、2人の間に共感が生まれる。
「イライザの言葉を受けた銀二郎が、英語はわからないけれどその意味を悟って、たった一言『Yes』と言う。銀二郎とイライザは、ただただ遠くからトキとヘブンを見つめることしかできない。寛一郎さんとシャーロットさんだからこそ、あのシーンができたと思いますし、ふじきみつ彦さんによる台本も、おふたりの演技の力を信じて書かれています。演出としても、序盤でおふたりのシーンを撮らせていただいてすぐに、この台本を安心して託せると思いました」
押し付けないーー『ばけばけ』の作劇哲学
『ばけばけ』はなぜこんなにも「台詞に頼りきらない、説明しない作劇」を実現できたのか。制作統括の橋爪國臣さんにも聞いた。
「前半のラストシーンとなった第65回、夕暮れの宍道湖でのトキとヘブンのシーンは、あれだけの長い時間(※1分半以上)、台詞のないシーンを朝ドラで流すことはこれまでなかったのではないかと思います。僕たちが挑戦してみたいことのひとつでした」
「僕自身、ナレーションのないドラマのほうが好きで、『ばけばけ』でもそれをずっと大事にしてきました。『言葉で押し付けない』というのは、テーマでもあると思っていて。世の中にはいろんな人がいて、それぞれの考え方があり、それぞれの解釈がある。その『それぞれ』を尊重しましょう、というのがこのドラマの大事なテーマのひとつです。作り手として『このエピソード、このシーンに対して私はこう思う。皆さんもそう思うでしょう?』と、押し付けることをしたくないと思っています」
「私たちができるのは、『当時こういう世の中で、こういうことがあって、こんな生き方をした人がいました』ということを見せることだけだと思っています。ドラマを見た方々がどう解釈するのか。いい感情を抱くのか、悪い感情を抱くのか。それは、見ている方々の立場もあるし、思いもあるし、置かれている状況もあるから、それぞれ違って当たり前。ドラマの中で何かを決めつけるということをせず、見る方の解釈に委ねたいという思いが常にあります」
次週、第14週「カゾク、ナル、イイデスカ?」は、年明け1月5日(月)から放送される。トキとヘブンの結婚に向けた決意を、司之介(岡部たかし)は、フミ(池脇千鶴)は、そして、長らく「異人」を目の敵にしてきた勘右衛門(小日向文世)はどう受け止めるのだろうか。