福島県いわき市出身の矢吹淳さんは、2011年の東日本大震災で被災。その4日後に家族で故郷を離れました。数年を経て、たどり着いたのは世界一美しいロケット発射場があることでも知られる鹿児島県の種子島。そこで100年以上の歴史がある黒糖の伝統製法に出会います。「大好きな種子島に恩返しをしたい」その想いで始めた挑戦とは…?現地で話を聞きました。
「海の近くで暮らしたい」種子島への移住を決意
震災後に起きた原発事故の影響による放射線物質の放出。自宅が避難指示区域との分かれ目で、子どもたちの身体への影響などを考えていたという矢吹さんは、震災から4日後、キャンピングカーに乗り込み、父親を含む親子3代で福島を後にしました。西へ西へと家族で旅を続け、一度立ち寄った種子島の自然に惹かれたそう。
縁があった山梨県に腰を据え、4年間は生活をしていたものの、故郷いわき市のような”海の近くで暮らしたい”という思いが強くなった矢吹さん。被災した友人が先に種子島へ移住していたこともあり、意を決して家族会議を開催。妻、当時小学6年生の長男、小学2年生の次男と全員で、「もう1回、新しいチャレンジをしよう!」と2015年から種子島へ移住しました。
”ガスや石油を一切使用しない”黒糖の伝統製法との出会い
「島に来たからには、島らしい仕事をしたい」。そう考えていた矢吹さんは、種子島で100年以上の歴史をもつ『黒糖作り』に出会います。黒糖と聞くと、人気の黒糖ミルクティや黒糖まんじゅうなどの加工品を思い浮かべる方が多いのでは。実は種子島では、黒糖を”そのまま”食べる文化が形成されており、糖度低めの程よい甘さで旨みがある固形の黒糖が好まれています。
原料であるサトウキビを収穫し、サトウキビの搾汁液を丸ごと煮固め、石灰を投入して固めていくことで黒糖ができます。矢吹さんらが参加する沖ヶ浜田黒糖生産協同組合では、”三段登窯(さんだんのぼりがま)”という3つの釜を用いた昔ながらの伝統製法を行っており、この製法が現存するのは種子島のみと言われています。2024年3月には、『薩南諸島の黒糖製造技術』として、重要無形民俗文化財にも選定されました。
釜を温めるための燃料は、ガスや石油を一切使用しない”薪のみ”。この伝統製法が沖ヶ浜田の黒糖の『美味しさ』の秘訣でもあり、薪の火力、投入する石灰の量、釜を移すタイミングなど、すべて経験を積んだ黒糖職人が見極めていきます。
すべてを手作業で進めていくため、”砂糖スメ”と現地で呼ばれる黒糖作りの時期は、朝4時半から夕方まで重労働の連続。ようやく黒糖作りが終わっても、釜洗いや道具の洗浄などと作業は続きます。
そんな重労働をしても、黒糖販売で得られる収入は多くはないという現状…。黒糖職人だけで生計をたてるのは難しく、親の仕事を継ぐ子も減り、後継者不足・高齢化という課題が浮き彫りになっているそうです。
そんな厳しい黒糖作りに参加し、課題を目の当たりにしながら種子島で暮らしていく中で、矢吹さんの心に引っかかっていたのは、島の先輩から聞いた「昔の海はもっとキレイだった…」の一言でした。海が汚れた原因の1つに「農薬が関係しているのでは?」と考えた矢吹さんは、震災での経験も重なり、「種子島の海をキレイに戻したい」と考えるように。考えに賛同した数人の移住者とともに、黒糖の原料となるサトウキビの有機栽培に取り組み始めました。
農薬を撒かれたことも…地元の先輩方、島への想い
移住して間もない、農業初心者の矢吹さんらが始めた有機栽培は、すぐには島の人には受け入れられなかったそうです。有機認証を目指し育てていた畑へ、「虫が出るから」という理由で勝手に農薬を散布されたことも。それでも矢吹さんは、諦めずに島の人たちや地域を尊重しながらコミュニケーションをとり続け、少しずつ有機栽培を認めてもらえるようになりました。
島の人々と交流を重ねながら試行錯誤すること8年、今では黒糖作りの現場でも欠かせない人物となり、高齢化が進む黒糖生産協同組合を支える1人です。
「種子島に住んでいて思うのは、”人の良さ”…!それに尽きます。移住者の私たちを家族のように大切にしてくださり、伝統製法の歴史や技術をたくさん教えてくれました。
私たちは、『種子島の自然環境や海を守りたい』という想いで有機栽培を始めましたが、だからといって、先輩方や他の農家さんの農薬を使う栽培を否定しているわけではありません。
地元の先輩方がこれまで、サトウキビ栽培や文化・技術を築き上げてきた黒糖作りの歴史があるからこそ、私たちが活動できている、という感謝の気持ちしかありません。大好きな地元の先輩方や種子島に恩返しがしたい!その気持ちで活動を続けています」
現在は、有機栽培のサトウキビを原料とした黒糖『ゆめのたね』を商品化し、付加価値のある黒糖を適正価格で販売するための仕組み作り、販路開拓にも挑んでいるとのこと。同じく移住者で、広報力があるメンバーも参加し、SNSでの発信も精力的に行っています。
「離島での生活は、それなりに不便なこともやはりあります。それでも、島のコミュニティがあるから毎日楽しいです」と飾らない笑顔で話してくれた矢吹さん。同じ島への想いをもつ、全国からの移住者たちと島の人々が手を取り合い、種子島の伝統製法を次の100年に紡いでいく挑戦はこれからも続いていきます。
【矢吹さんが代表を務める種子島黒糖「ゆめのたね」プロジェクト関連情報】
◼️公式ホームページ https://yumenotane-tanegashima.com/
◼️Instagram https://www.instagram.com/kokutou_yumenotane/
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