漫才頂上決戦「M-1グランプリ」、女芸人No.1決定戦「THE W」で、アマチュアながらプロを制し、二つの大きなお笑い賞レースでファイナリストになった伝説の漫才コンビがいます。それが変ホ長調。
ピンクの装いが印象的な彼方さとみは東京在住、ボーダー柄が特徴の小田ひとみは京都在住。二人の漫才は基本的に時事を風刺し、ボケやツッコミの形式がありません。淡々と進みながらチクリと毒針を刺すやりとりは、喫茶店の会話を盗み聞きしているような臨場感があります。独特な芸風には多くの熱狂的なファンがいるのです。
そんな変ホ長調が結成20周年を迎えました。2025年8月31日(日)には大阪で初の単独ライブ「変ホ長調のふたりごと」の開催が決定。M-1では「史上最強のアマチュア」、THE Wでは「蘇る伝説の素人漫才!」と謳われた彼女たちに、会社員と漫才師の二刀流を極めたこの20年間を振り返っていただきました。
M-1に挑戦するためにコンビを組んだ
―― 20周年おめでとうございます。結成した2005年から昨年まで、さまざまな賞レースに挑み続け、ブランクの時期がないことに驚きました。
小田ひとみ(以降、小田)「ありがとうございます。もともとM-1に挑戦するために組んだコンビなので、賞レースにエントリーしないという発想がなかったんです」
彼方さとみ(以降、彼方)「2020年にM-1への参加がラストイヤーを迎え(大会規定により結成15年を超えると参加できない)、翌2021年からは芸歴制限のないTHE Wに挑戦しています」
「アマチュアOKのはずがない」と疑っていた
―― 小田さんは京都、彼方さんは東京にお住まいです。この20年、どうやってコンビを継続してきたのですか。
彼方「最初から東京と京都で分かれて住んでいたので、大変だった記憶がないんです。メールのやり取りをしながらネタをつくって、そのネタを予選で下ろして、『ここはウケたから広げよう。ここは外そう』と調整していくのが私たちのやり方でしたね」
―― M-1は優勝を目指してエントリーしたのですか。
小田「いやぁ、優勝なんて気持ちはまったくなかったです。それどころか決勝に残れるとさえ思ってはいませんでした。お互い会社員ですから、仕事でたまったストレスを予選で解消したかった。それがM-1に挑戦したもっとも大きな理由でした」
彼方「募集要項には“アマチュアもOK”って書いてあるけれど、『実際に素人を通すわけないやん。選考にはいろんなオトナの事情があるやろ』って疑っていましたしね」
―― ところが初挑戦した2005年には敗者復活戦まで駒を進め、2006年にはついにファイナリストとなり、M‐1史上初のアマチュア進出が話題となりました。どういう気持ちでしたか。
小田「準決勝の会場はNGK(なんばグランド花月)で、私たち自身がビックリするくらいウケたんです。『思いどおりや!』って感じ。袖に芸人さんも集まってきて、終わったら笑い飯の哲夫さんが拍手してくれましてね。嬉しかったなぁ」
―― 哲夫さんはTHE Wの審査でも「変ホ長調はM-1でともに闘った戦友」と語っていましたね。
小田「芸人さんは、たとえ相手がアマチュアでも、ウケたらちゃんと評価してくれるんやって感激しました。チュートリアルさん、トータルテンボスさんも優しかったです」
彼方「とは言えテレビですからね。ウケていたとしても、テレビ局は私たちを決勝へは進ませないと思っていました。それとこれとは別なんやろうなと悟っていたんです」
小田「それで準決勝が終わって、カナちゃん(彼方さん)と飲みに行ったんです。『今日は楽しかったね~』と盛り上がってね。そしたらスタッフさんから『今から決勝進出者発表をするのでNGKに戻ってきてください』と電話がかかってきたんです。『もう楽しく飲んでるし、けっこうです』って断ったんですが、『飲み代を払うから』とまで言われてね」
――現在のM‐1は決勝進出者発表が重要なコンテンツとなっていますが、当時はそんなにゆるかったんですね。
彼方「そうなんです。仕方がなくNGKへ戻ると深夜に決勝進出者発表があって、私たちの合格が告げられました。当時は現在と違って翌日の記者会見で情報公開されたので、ABC(朝日放送)の偉い人たちから『本当に決勝戦に出る気はありますか? 会社やご家族の反対はありませんか』と意思確認をされたんです。私たちは芸能事務所なんて入ってないただの会社員やし、ファイナリスト発表の記者会見のあと、『やっぱり出られません』では困るからと」
―― アマチュアだから周囲への報告が不可欠だったんですね。
小田「あの日は決勝進出できる嬉しさより、アマチュアが決勝に進出するとなれば、手続きがこんなに必要なんやという現実に戸惑っていた感じでしたね。とりあえず関係各所に電話して決勝進出したことを報告しました。当時、私の身内に危篤状態の人がいたので、上司に電話すると、先ず『誰かお亡くなりになったんか?』と心配されたのを憶えています」
彼方「私はまず会社にM-1を理解させるのが大変でした。当時の東京は今ほどM-1の認知度が高くなくて。部長に電話したら、『M-1? 漫才? 吉本? 君は今、大阪で何をしているの?』って、ぜんぜんピンときていない様子で。『とりあえず親会社に報告しておくから』と。そのあとABCのプロデューサーさんがわざわざうちの会社まであいさつに来てくださったんです」
小田「そこまでしてくださると、決勝進出がほんまに嬉しいなと感じるようになりました。もしもあのとき、『M-1に出場する条件として退職してほしい』と言われていたら、会社を辞めていたかもしれません」
彼方「しっかりウケたら、ノックアウトしたら、プロだろうがアマチュアだろうが決勝に残すんだという正義がM-1にはあるんだなと感動しました。笑いに対して公平なんやと、M-1を信頼できたんです」