東海道新幹線は、10月1日に開業から60周年を迎えました。開業当初の車両は「だんご鼻」として知られる0系で、マイナーチェンジを繰り返しながら製造が続けられ、東海道新幹線では1990年代末まで活躍しました。一方、開業当初のダイヤは現在とは大きく異なっていました。開業当初のダイヤや運行面の実態を知ることで、改めて東海道新幹線の進化を感じることができるのではないでしょうか。
東京~新大阪間は最速4時間だった
日本人の間では「東京~新大阪間は2時間30分」という認識が半ば常識となっています。しかし、開業当初の東海道新幹線の東京~新大阪間の所要時間は、「ひかり」で4時間、「こだま」で5時間でした。加えて、東京~名古屋間は「ひかり」でも約2時間30分でした。参考までに、現在の「こだま」は東京~新大阪間を約4時間で走破します。
一方、「ひかり」の停車駅は、東京、名古屋、京都、新大阪のみで、単純に比較すると、現在の「のぞみ」よりも停車駅は少なかったのです。それにもかかわらず、所要時間は1.5倍以上かかっていました。この理由は、スピードが抑えられていたためです。
東海道新幹線の路盤は盛土が多く、開業当初は路盤がまだ固まっていなかったため、営業最高速度は時速160kmに制限されていました。速度試験では時速200km以上を記録していたため、その頃は少しもどかしい時期だったのかもしれません。
翌1965年11月のダイヤ改正では、最高速度210kmでの運転が開始され、「ひかり」は3時間10分、「こだま」は4時間となりました。
ダイヤはのんびりダイヤ
現在、東海道新幹線は日本の大動脈であり、「のぞみ」がひっきりなしに発車しています。しかし、開業当初のダイヤは、東京駅発「ひかり」が毎時0分、「こだま」が毎時30分発の1時間間隔で、現在では考えられないのんびりとした運行ダイヤでした。
新大阪駅から西へは、同駅で特急列車に乗り換えていました。たとえば、「ひかり5号」は新大阪駅に12時0分に到着し、12時20分発の「つばめ」に連絡。「つばめ」は山陽本線・鹿児島本線を西へ走り、終着の博多駅には20時30分に到着しました。
新大阪駅での乗り換え時間は20分しかなかったため、記念写真を撮るようなことを考えると、家族連れにとっては少しタイトなダイヤだったのではないかと思ってしまいます。
種別は「超特急」と「特急」の2種類
東海道新幹線開業当時の時刻表を見ると、隅に「超特急」や「特急」という表記が見られます。「ひかり」は超特急、「こだま」は特急に分類されていました。「夢の超特急」という表現をよく目にしますが、実際に「超特急」という名称は東海道新幹線の列車種別として使用されていたのです。
「超特急」が事実上廃止されたのは、1972年の岡山開業時のことです。この時のダイヤ改正で、新大阪~岡山間の各駅に停車する「ひかり」が登場し、また「ひかり」の全列車に自由席が設けられました。これにより、「ひかり」は特別な列車ではなくなり、一部例外を除き超特急料金と特急料金は統合されることに。最終的に、種別としての「超特急」は廃止となり、現在の東海道新幹線の列車種別は「特急」のみとなっています。
実際に1972年3月号の時刻表を見ると、東京~名古屋間における「ひかり」「こだま」の料金格差に関する記述はありますが、「超特急料金」という表記は見当たりません。
このように、60年前の東海道新幹線は現在とは異なる姿をしていました。これからの60年はどのように変化するのでしょうか。