愛称は「デカプリン」 神戸の女子大生に愛され年670万個 モロゾフの看板商品カスタードプリン物語 

クラブTVO編集部 クラブTVO編集部

持ち帰りのプリンといえば、年間670万個売れるという「モロゾフ」。カスタードプリンが有名ですね。中身だけでなくガラス容器は一家に1個はその空き容器があると言われるほど知名度が高く、小物入れ、花瓶、コップに…と食べ終わった後も大活躍。

そんなカスタードプリンの意外な誕生秘話から、紆余曲折を経て今の形となったガラス容器、さらに今や当たり前となった「モロゾフ」が日本のスイーツ文化に与えた”大きな影響”までが明らかに。

教えてくれたのは、神戸六甲アイランドにあるモロゾフ本社の広報担当者・岩崎未来さん。

「モロゾフ」の名前の由来はロシア人

そもそも「モロゾフ」の社名の由来は?

それは1人のロシア人にあります。1931年、初代社長となる葛野友槌(ともつち)氏がチョコレートショップを経営していたフョードル・ドミトリエヴィチ・モロゾフ氏と出会い、共同経営という形で生まれたのが「モロゾフ」です。 神戸に巨大なチョコレート工場を構えましたが、当初は日本人にチョコレートのなじみがなくかなり苦戦したのだとか。しかし、新しい文化がいち早く取り入れられる港町・神戸だからこそ、その存在は徐々に受け入れられていったそうです。

看板商品・カスタードプリンの意外な誕生秘話とは?

1962年、「モロゾフ」は喫茶店も営業していましたが、ドリンクのみの提供でした。客からのフードメニューを求める声にどう対応しようか考えた結果、「プリンなら作れる」という従業員からの一言で、プリンを提供することに。

「作れる従業員がいたから」という意外な理由から、今日の年間670万個売れる看板商品へと成長したとは驚きです。1日数十個ずつ陶器で焼いて販売したところ、濃厚ながら素朴な味わいと特別感が受けてプリンは大人気になりました。

販売開始から6年、カフェで出すだけではもったいないということになり、2代目社長・葛野友太郎氏が「家に持ち帰れるプリン」を作ることを決断。1968年、カスタードプリンの持ち帰り販売がスタートします。すると、神戸の女子大生たちに「デカプリン」の愛称で親しまれ、手土産として一躍人気に。こうしてモロゾフは、プリンを「家庭でも食べられるもの」に変換したのです。

モロゾフのこだわり、ガラスの容器

モロゾフは当初、陶器でプリンを焼いていましたが、品質にムラが出てしまうなど問題がありました。そこで目をつけたのがガラスの容器。試作してみるとムラなく均一に焼けることが判明。ガラスは熱伝導の具合がよく、安定して同じ品質のものを量産できたのです。1973年に販売を開始すると、特別感もあるガラス容器はお土産としても喜ばれました。

ガラス容器には「重量」というデメリットが。雨の日に売り上げが下がってしまう原因として、傘を持ちながら片手で持つのは重いという声がありました。そこで一度プラスチック容器に変更しましたが、特別感がなくなり売り上げも減少。再びガラス容器に戻して軽量化することを選択し、これまでに7回の改良が行われ、初めは188gあった容器を140gまで軽くすることに成功しました。

美味しいプリンを食べた後、そのガラス容器を小物入れ、花瓶、コップに…と再利用できることも魅力です。

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