京都市北区紫野の閑静な住宅街にその店はあるという。スマートフォンのマップを頼りに目的地を示す地点に到着したけれど、どこにもお店らしき看板は見当たらない。
周囲をぐるり見渡す。家と家の間に細い路地があるのを見つけた。奥に古民家があり、玄関先の門に和風ののれんがかかっているではないか。
だが、家の前まで来ても看板はない。山里の隠れ家のようだ。ここで合っているのだろうか、と不安になる。
おそるおそる戸を開けて中に入ると、店主の辻井智貴さん(49)が奥から出てきた。
築100年ほどの古民家。内部はリノベーションされ、モダンな空間になっていた。デザインは、祇園祭の郭巨山会所(下京区)改修を設計し昨年日本建築学会賞を受賞した京都工芸繊維大特任教授の魚谷繁礼(しげのり)さんが手がけたという。
天井を抜いて大きなはりを見せ、客間は板間にしてすっきりとナチュラルに仕上げている。間接照明の柔らかな光が内部全体の質感を高める。
こだわりが随所に詰まっている店舗なのに、なぜ看板を出さないのだろうか。
辻井さんは「予約制でやっていますので看板はなくてもいいかな、と。あえて作っていないということでなくて、作らへんままここまできてしまっただけです」と気取らない笑みを見せた。
店の名前は「ototojet(オトトジェット)」という。
「おとと」は魚の幼児語。辻井さんは「人が一回聞いたら覚える響き」を重視し、後ろにジェットを付けた。店は1日1組限定の個室レストランであり、仕出しやイベント出店、寿司や鮮魚の注文販売も受け付ける。
ディナーは15000円からと値は張るが、「生け花のように『魚を生ける』」をコンセプトに旬の天然魚を、魔法をかけたように変身させる。そのアート感覚は、建物の空間と相まって異色の世界観を映し出す。
辻井さんは京都市南区出身。もともと店は20年前、伏見区のJR六地蔵駅に近い街道沿いで開いた。京都市内の広告デザインの会社を「脱サラ」し、新規参入が少なく変革の余地が大きい鮮魚業界にチャンスがあるとみて、裸一貫で挑んだ。
魚はずぶの素人。「最初は魚を仕入れられないし、買いに行っても相手にされない。今から考えたら無謀ですよね」と振り返る。
自己資金もさほどなく、販売用の魚を入れるパック代すら惜しかった。だから、家に眠っていた瀬戸焼の皿などを引っ張り出し、おろした魚を皿に載せて持ち帰ってもらうことにした。
これが思わぬ効果を生んだ。お客さんは皿を返却に来る。すると、その場で会話が芽生えた。
「お客さんの顔を覚え、家族構成もわかる。環境に良いだけでなく、持続的なつながりが生まれ、自分の食べてもらいたいものを食べてほしいと思うようになりました」
天然魚にこだわり、常連客ができて商売は軌道に乗った。開業から10年が過ぎた頃、店を京阪桃山南口駅(伏見区)近くの住宅街に移転した。
忘れられない女性のお客さんがいる。ある日、ブリの注文を受けて切り身にして渡すと、去り際にこう言われた。
「ブリってもっと分厚くしないとおいしくないの」
辻井さんはその頃、少しでも利益を上げるため薄く切って表面を大きく見せていた。それから女性は来店するたびに小言を言った。辻井さんも悔しくなって大きく切った。
そうしたら次第に「ブリを太く切る店」と話題になり、店が繁盛するようになった。
「あとで、そのご婦人は大きな酒造会社の会長の奥様だったとわかったんです。料理とは何なのか、食べることは何なのか。お客さんが、未熟だった僕を育ててくれた」と実感を込める。
小売りだけでなく店内のイートインスペースで限定ランチを提供した。厚切りの刺身を美しく盛り付けた海鮮丼や、デザインのセンスを生かして華やかに彩った「手鞠(まり)寿司」をSNSで発信すると、たちまち評判が広がった。
デパートの催事やメディアを通して「オトトジェット」の名は価値を高めた。周辺に観光名所のない伏見の小さな店に、わざわざ遠方や海外から客が訪れるようになった。
「自分がやってきたことを伝える発信地や皆さんと語らう場所を作りたい」
信念を貫き、進化させていく思いで移転してきたのが、紫野にある今のお店。だから、万人に対して目立たなくてもいい。
コンセプトの一つが「サスティナブル」(持続可能性)。お客さんとの付き合いしかり、自然のサイクルに合った旬の魚を出すこともしかり。古来より日本人が大切にしてきた精神を、従来の「魚屋」の枠を超えて京都から内外に発信する。そのことに、辻井さんは使命感を燃やす。
「やっぱり季節ごとの旬のものを人は補いたくなる。食べると体の中からおいしいと感じ、健康につながる。商業的な考えが入り変わってしまった食文化を、全部ではなくても先人の頃に戻しませんか」と問題を投げかける。
看板のない不思議なお店。のれんをくぐり奥に分け入ると、悠久の時にはぐくまれた京都らしい答えが待っていた。