伝説のバラエティー『進ぬ!電波少年』の超能力ピンク 今は芸能事務所の辣腕社長 「超能力?今も健在ですよ!」

石井 隼人 石井 隼人

「超能力は…健在です!」

自主制作映画にも関わらず、55館もの映画館で拡大公開中の『18歳のおとなたち』。手掛けたプロデューサーに会ってみたら驚いた。伝説的バラエティ番組『進ぬ!電波少年』内の人気企画「電波少年的地球防衛軍」のピンクこと斉藤ゆり、その人だった。現在は本名の木谷真規(44)として、芸能プロダクション兼制作会社エクセリングの代表を務めている。

『電波少年』か大手企業就職か

人は超能力だけで生きていけるか?

そんな突拍子もない説を検証する「電波少年的地球防衛軍」に木谷が参加したのは18歳の頃。大手自動車メーカー入社への最終面接を控えたある日、当時人気番組だった『進ぬ!電波少年』を見ていたらこんな告知が流れた。「ピンクが似合う超能力がある人募集」。

ピンク色は元々好き。超能力は…小さい頃にトランプのカードの匂いを嗅いで神経衰弱を当てる特技を持っていたことを思い出した。

「留学して短大に通いながらも、芸能の道に進みたいとずっと思っていました。でも当時はそんなこと恥ずかしくて誰にも言えません。周りが内定を取っていく中で私も焦って就活して大手自動車メーカーの最終選考まで残っていました。そんな時にテレビで見た募集告知。夢を追求するのはこれで最後にしよう!と試しに履歴書を送ったら、すぐにオーディションに呼ばれて…」

だがそのオーディション日は、大手自動車メーカーの最終面接と同日同時刻だった。

「そこで初めて両親や友人に打ち明けました。当時は就職氷河期でもあったので、誰もが『電波少年』よりも大手自動車メーカーの面接を応援してくれました。でも私としては安定を手にしたとしても、5年後10年後に本当に後悔しないのかと…」

悩んだ結果、周囲に内緒で辞退の電話をしたのは、大手自動車メーカーだった。

ほぼ監禁状態の超能力生活

しかしオーディション会場には、怪しげな超能力者やテレビで見たことのある有名芸人らがズラリ。「私としてはすべてを捨ててそこに挑んだわけですが、正直自分は場違いというか。もう落ちたなと。これからどうしようかなと」

そんな木谷の前にやって来たのが、番組の名物プロデューサー・土屋敏男氏。伏せられた5枚のカードの中に1枚だけある「当たり」カードを透視するように言われた。「もう念ずれば通ずじゃないですけれど、“当たりであってくれ!”と念じながらカードをクンクンと匂ってこれだと思う1枚のカードを土屋さんに差し出したら…『おおお!』と会場がどよめいたんです」

偶然にも引き当てたカードが、木谷の平凡な人生を変えた。

後日、木谷が再びオーディション会場を訪れると、渡されたのはピンクの全身タイツとアイマスク。携帯電話を含む私物はすべて没収され、約2年間に渡るほぼ監禁状態の超能力生活が始まった。

「家族にだけは生きているということを伝えたかったけれど、電話も取り上げられているのでそれもできず。家族の元には番組スタッフが事後説明に行ってくれたそうですが、今だったら絶対に考えられないことですよね」

コンプライアンスが重視される現在の番組制作に照らすと、『進ぬ!電波少年』の破天荒過ぎるスタイルには苦笑するしかない。

ロシアの謎の地下室に連行

企画内容もぶっ飛んでいた。

「お篭り部屋でカードを当てる確率を上げる特訓を毎日やっていました。当てないと食事を没収されるので私も必死です。最終的には9割方当たるようになりました。オーストラリアで2組に分かれて超能力のみで合流する企画では、ヒッチハイクをしてニアミスをしながらもオペラハウスで合流に成功しました」。それはそれで凄い。

ロシアでは念力実験に挑戦。「アイマスクを外すと、ロシアにある謎の地下室にいて。密封されたケースの中にあるプロペラを回すことが出来たら帰国できるという企画でした。当然最初は回らなかったものの、成功させないと日本に帰れないという極限状態が自分の能力を高めたのか、最終的にはプロペラを回すことが出来ました」と奇跡を起こした。

帰国後は同番組の別企画「15少女漂流記」に参加して無人島生活。超能力ではなく根性で生還したという。そして24歳で芸能活動から会社経営の道へ。超能力者ピンクは木谷社長に大転身した。こんな人生劇は放送作家でさえ思いつかないだろう。

人間的にタフに

社長になってはや20年。所属タレントもサヘル・ローズ、285万人のフォロワーを誇るエラ・フレイヤ、家田荘子、黒田アーサー、ニコラス・ペタス、中条きよし、後藤祐樹らなかなかの濃いメンツが顔を揃える。

制作会社としても稼働し、ドラマ、映画、バラエティ番組を多数制作。今では「困ったときはエクセリングさん。あそこは一所懸命やってくれる会社だから」との評価を得るまでになった。

芸能の道に進みたいとハードな門を叩いた18歳も今では44歳。「タレントとして出演することへの未練は社長になった時点で捨てました。今では所属タレントや俳優の名前が台本やエンドロールに載ることが何よりもの喜びになっています」ととっくに吹っ切れている。

『進ぬ!電波少年』に対する感謝の念は消えない。「自分の原点はそこにあるというか、生きる術を学ぶことが出来て人間的にタフになりました。人生は一度きり、やるかやらないかで迷うんだったらやってみる。物事の考え方や今の自分があるのは、やはり『進ぬ!電波少年』の経験が大きいです。無一文になってもなんとかやっていけるぞ!という変な自信がついたのは、無人島生活を通して食べられる植物の知識を得たから」と笑う。

『18歳のおとなたち』拡大公開中

ちなみに現在の超能力はいかほどか。そう聞くと「健在です!」と即答する木谷。製作・宣伝・配給の全てを自社で初めて担った映画『18歳のおとなたち』は木谷の草の根運動的努力と木谷を慕う業界関係者の尽力もあって、当初1館公開の予定が55館までに拡大した。

「愛を持って作品を伝えたいという思いから、今回は製作から宣伝、配給までを一貫して初めてやってみました。この経験を通して感じたのは、人は一人では生きられないということ。このプロジェクトを支えてくれたり、共鳴してくれたりする方々の存在はとても大きなものでした。人と人は出会うべくして出会う必然だと思うことが多かったので、私に出会ってくれた方々、そして作品に出会ってくれた観客の皆さんには感謝しかありません」

つまるところ木谷が土壇場で発揮してきた超能力とは、人間力を指すのかもしれない。

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