能登半島地震で最大震度7を観測した石川県羽咋郡志賀町で行方不明になり、29日目にして家に帰って来た猫がいます。名前はづんちゃん。長毛が印象的なラグドールで、繁殖引退猫だそうです。
2024年1月1日、づんちゃんは飼い主の岡本幸恵さんのお姉さんの家にいました。
「普段は金沢に住んでいて、お正月は志賀町の実家に帰省していたんです。母が猫アレルギーなので、づんは近くに住む姉の家に預けていたのですが…本震の後、『づんが玄関から外に出てしまった』と電話があって」
みんなで辺りを捜しましたが、づんちゃんは見つかりません。そこから長い、長い、捜索が始まりました。迷子チラシを作って近隣にポスティングを繰り返し、新聞にも折り込みチラシを入れました。SNSで発信を続け、ペット探偵にも相談したと言います。ただ、目撃情報は1件も入ってきませんでした。かなり特徴的な見た目にもかかわらず。
「家族は誰かに連れて行かれたんじゃないかと言っていました。でも私は、見つかるまで絶対にあきらめない!と。ケガをしていても、足がなくなっていてもいい、生きてさえいてくれれば…そう思って2日に一度は志賀町へ通っていました」
心の支えになったのは、発災直後に兵庫県尼崎市から駆けつけ、支援物資を届けたり迷子ペットの捜索などを行っていた動物愛護団体『つかねこ』代表・安部壮剛氏の言葉でした。
「余震が続くなか志賀町まで来て、一緒にづんを捜してくださったんです。そのとき『絶対に近くにいる、絶対に見つかる』と言ってもらいました。結果的にづんは姉の家の納屋に設置した捕獲器に入ってくれたのですが、それはつかねこさんが貸してくださったもの。使い方のわからない私たちにとても丁寧に説明してくださり、づんのオシッコの臭いがついた猫砂を周囲に置くことや、使っているトイレやベッドを置いて誘導することなど、たくさんのアドバイスをいただきました。兵庫に帰られてからも何度も連絡をくださって。つかねこさんだけじゃなく、他の団体さんやSNSに応援コメントをくださったたくさんの方々に、どれだけ励まされたかわかりません」
捕獲器の近くにカメラを設置してチェックしていると、いつも決まった猫が映っていました。「野良猫や地域猫が多いエリアなんです」と岡本さん。もともとそのエリアで暮らす猫たちにとってづんちゃんは“よそ者”ですから、そこを縄張りとする他の猫がいると、づんちゃんが近づけないかもしれません。岡本さんはカメラに映る猫を保護して、金沢で里親探しをしようと考えました。ところが…。
「結構太った猫で、捕獲器の扉にぶつかって逃げてしまったんです」
これが“怪我の功名”となりました。捕獲器が怖くなったのか、その猫が来なくなったのです。そして1月29日、志賀町から金沢に戻った岡本さんに、お姉さんから電話が入りました。「裏の家の軒下にづんらしい猫がいると連絡があった」と。これが初めての目撃情報でした。ご家族が確認して「づんに間違いない」となり、カメラにもづんちゃんの姿が映りました。そしてほどなく、貸してもらった捕獲器の中へ! 発災から29日目にして、ようやくづんちゃんが家に帰って来たのです。
岡本さんはもう一度すぐに志賀町へ。再会を果たしたづんちゃんは痩せていて、声がかすれていたそうです。
「4.5キロだった体重が2.7キロまで減っていました。でもどこも異常はなくて、病院の先生に『足の裏もきれいだし、爪も割れていない。これは奇跡! きっと、同じ場所でじっとしていたんだろう』と言われました。草を食べていたみたいです」
動かなかったことで、ケガや体力消耗を防げたのかもしれません。脱水症状がなかったのは、被災地に降り積もった冷たい雪が、づんちゃんの命を救ってくれた可能性もあります。
住み慣れた家に帰って来たづんちゃんは、とても甘えん坊になりました。
「私の姿が見えないと鳴きますし、ストーカーのようにあとについてきます。座ると股の間に入ってきたり、常に一緒ですね。以前はなかったことですが、ますますかわいいです」
志賀町に捜索に行くときいつも同行していた同居犬のてしろちゃんは、づんちゃんが帰って来て大興奮したとか。今は以前と同じように仲良く、岡本さんが経営するお店のお客様をお迎えしています。
「お客様もとても喜んでくださって、いろんな方からたくさんオヤツをもらいました。おかげさまで、づんの体重も徐々に戻ってきています(笑)。本当にたくさんの方に励まされ、勇気づけられたので、今度は私が、まだ見つかっていない子たちを応援できればと思っています。仕事があるので現地には行けませんが、迷子リストを作っている方とづんをきっかけに知り合えたので、今もペットを捜している方たちに、とにかく『あきらめないで!』というメッセージを伝えていきたいです」