「二階堂ふみ」の名字の歴史 源頼朝が建立した鎌倉のお寺がルーツ 中世武家政治を支えた有力一族だった

森岡 浩 森岡 浩

映画「翔んで埼玉」の続編「琵琶湖より愛をこめて〜」で再びGACKTとともに主演をつとめている二階堂ふみ。「二階堂」はメジャーな名字で、年配の方だと二階堂進という大物政治家を記憶している人も多いだろう。

また、昨年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に、13人の一人として野仲イサオ扮する二階堂行政という人物が登場していた。ドラマ中での存在感は今一つ薄かったのだが、実はこの人物こそ現在に至る二階堂一族の祖にあたる人物である。

二階堂氏は藤原南家の出で工藤氏の一族。「鎌倉殿の13人」にも登場した伊東祐親や仁田忠常らと同じ一族である。

ただし、伊東氏や仁田氏が伊豆に定住して、その所領の地名を名字として名乗っている武家なのに対し、行政以前の二階堂氏は朝廷に仕える官僚で、名字は地名ではなく藤原氏の一族であることを示す「工藤」を名乗っていた。

工藤行政は下級官僚だったが、母が源頼朝の母方の大叔母にあたることから鎌倉に下向して頼朝に仕え、鎌倉幕府の創設とともに政所寄人となった。そして、頼朝没後は13人の合議制にも加わり、幕府草創期に実務官僚として支えた。

建久3(1192)年、頼朝は鎌倉に永福寺(ようふくじ)を建立した。永福寺の仏堂には立派な裳階(もこし)があって外観が二階建てに見えることから、通称「二階堂」と呼ばれた。

そして、行政はこの寺の近くに邸宅を構えたことから「二階堂」を自らの名字とした。のちに地名も二階堂となっている。なお、この二階堂は高さもかなり高く、本当に二階建てだった可能性もあるという。

行政の子孫は代々執事を世襲し、官僚として幕府の運営には欠かせない一族となっていった。そのため、鎌倉幕府の有力一族にも関わらず、その滅亡後も室町幕府に出仕して引き続き政所執事をつとめるなど、中世武家政治を裏から支えた一族であった。

こうしたことから二階堂氏は全国に多くの所領を持ち、その一族は各地に広がった。なかでも、福島県須賀川に移り住んだ一族は後に戦国大名に発展、伊達政宗に敗れるまで須賀川二階堂氏として続いた。

また、鎌倉時代初期に陸奥国栗原郡沢辺(現在の宮城県栗原市金成)に移り住んだ一族も、戦国時代に葛西氏に敗れるまで同地の有力氏族だった他、薩摩に下向した薩摩二階堂氏も同地の有力一族であった。

現在も「二階堂」という名字は福島県と宮城県に集中しており、明治維新後にそこから移住した北海道にも多い。

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