漫画を原作として7月に始まったTBS系ドラマ『トリリオンゲーム』で、主演をつとめるSnow Manの目黒蓮。「目黒」と聞くと誰でも想像するのが東京の目黒。目黒蓮も東京出身で、いかにもという感じである。
確かに「目黒」という名字のルーツは東京の目黒だが、実は東京には「目黒」という名字はそれ程多くはない。名字はルーツの場所に集中しているわけではない。
そもそも、「目黒」とはなんだろうか。目が黒いのは当たり前だが、実はこの「め」は「目」ではないとされている。
「目黒」の由来には諸説あるが、最も一般的で地元目黒区のサイトでも紹介されているのが、「め」は駿馬の「馬(め)」であるという説。実際、目黒周辺には駒場、駒沢、上馬、下馬など「馬」に因む地名が多い。
そして、「くろ」は田んぼのあぜ道のこと。緑の広がる水田の中で、あぜ道は黒く見えたことから「くろ」と言われた。関東や東北では「あぜ」よりも「くろ」と言われることが多かった。この「めぐろ」に対して、あとから「目黒」という漢字をあてたとされる。
さて、平安時代に武蔵国には児玉党という武士団が広がっていた。これは埼玉県本庄市児玉を本拠地として今の埼玉県西部から東京にかけて広がっていた同族集団で、その中の一部が武蔵国荏原郡目黒(現在の目黒区)に住んで「目黒」を名字とした。これが目黒氏の始まりである。
目黒氏は鎌倉時代には御家人となり、鎌倉幕府の公式記録である『吾妻鏡』にも目黒弥五郎・小太郎といった名が見える。目黒氏はその後陸奥国に所領を貰い、今の宮城県南部や福島県会津に移り住んだ。
そして、会津只見で戦国大名芦名氏に仕えていた目黒氏は戦国時代に会津を離れ、越後国魚沼郡の広瀬郷(新潟県魚沼市)で帰農、江戸時代は代々庄屋をつとめた。同家2代目の彦兵衛は会津との国境紛争の際に越後側の代表として江戸に赴くなど、魚沼地方を代表する豪農であった。江戸中期の寛政年間に建てられた邸宅は、国の重要文化財に指定されて一般公開されている。
現在も「目黒」という名字は福島県の会津地方から新潟県の魚沼地方にかけてと、宮城県南部の2カ所に集中しており、なかでも会津の只見町では町の最多名字となっている。
因みに、目黒には目黒不動があることでも有名だが、目黒不動の他にも、目白不動、目赤不動、目青不動、目黄不動があり、合わせて五色不動という。