デジタル相「河野」の読み方は「こうの」?「かわの」? 全国的には…ほぼ半々の割合でした

森岡 浩 森岡 浩

岸田内閣でデジタル相をつとめている河野太郎(こうの・たろう)氏。

そのTwitter(現・X)利用は有名で、画像や暗号などどんな形で「河野太郎」と書こうとも、見つけられてしまうことでも有名だ。そうした実績を買われてか今内閣でデジタル相となったものの、一連のマイナンバーカードをめぐるトラブルの矢面に立たされている。

この河野大臣の名字の読み方は「こうの」である。「河野」には「こうの」と「かわの」という読み方があり、いずれもごく普通の読み方である。

名字ランキングでいうと、「こうの」が186位で「かわの」が218位と、「こうの」の方がやや多いが、いずれもかなりメジャーな名字であることには違いがない。

「河野」のルーツの地は伊予国風早郡河野郷、現在の愛媛県松山市である。古代、伊予国には古代豪族越智(おち)氏が栄えていた。文武天皇の時代に越智玉興が伊予大領となり、弟の玉澄が河野郷に住んで河野氏を称したと伝える。

平安時代に藤原純友の乱の鎮圧に活躍し、源頼朝が挙兵すると通清・通信父子がいち早く呼応。通信は源義経の軍勢に加わって屋島合戦などで功をあげ、鎌倉幕府の成立後は幕府の御家人となった。

以後水軍を擁して代々瀬戸内海に勢力を振るい、戦国末期に長宗我部氏に敗れるまで同地の大名として続いた。鎌倉時代に時宗を開いた一遍上人は河野氏の一族である。

「河野」という名字は、現在も愛媛県を中心に広がっている。ルーツの地である愛媛県では圧倒的に「こうの」と読むほか、隣接する広島県、香川県でも9割以上が「こうの」さん。しかし、その外側の徳島県や福岡県、大分県、宮崎県では「かわの」が主流である。

ルーツの地から他国に移り住む際に名字の読み方を変えることは珍しくはなく、九州や徳島に転じた河野さんは、読み方を「こうの」から「かわの」と変えたのだろう。また、大分県には「川野」という名字も多く、ここから漢字を「河野」に変えたものも多いとみられる。

東日本では「河野」はそれほど多くなく「こうの」と「かわの」が混在している。とはいえ、北陸では圧倒的に「こうの」と読むなど、東日本では茨城県を除いて「こうの」が過半数となっている。

都道府県単位でみると「かわの」が多いのはわずか10県にすぎず、残りの37都道府県では「こうの」と読むことが多いのだが、宮崎県・大分県・福岡県に圧倒的な数の「かわの」さんがいるため、全国を合計すると半数ずつに近く、「こうの」が53%で、「かわの」が47%となっている。

河野大臣の出身地は神奈川県。祖父一郎、父洋平と3代続く政治家で、祖父一郎は小田原市の生まれ。小田原市でも「河野」の8割近くは「こうの」と読む。

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